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草は歌っている 今日の文学

「暴力と血の匂いにみちた破滅の物語」

というキャッチコピーのオレンジの帯と黄色の表紙なので、電車で読んでいると何人かがチラッと見てくれたように思う。キャッチコピーのフォントが昔風なのが良い。

これで今日の文学シリーズ4冊目。「街の草」と「青空」はどタイプという感じだったけど、前回の「八人の男」があまりハマらず、この「草は歌っている」も序盤はなかなかページが進まなかったので、つい「今日の文学シリーズってもしかして面白いのは数冊だけ?」と疑ってしまった。

ページが進まない理由は3つ。
1つは「ユーモア小説」でないこと。この本はユーモアを徹底的に排除してある。僕はすっとぼけ小説が好き。ブローティガンとか、庄司薫のスタイルが好ましい。一方、今回のような「事実淡々スタイル」。馴染みのある街が舞台なら共感できるだろうが、この小説のようにアフリカの農場の話では、「これいつまで続くんだよ……」と思ってしまうのが正直なところだ。
2つ目に、黒人をテーマにした話であるということ。僕は黒人について何も知らない。知らないものにのめり込むには時間がかかる。
3つ目は、作者が女性という点。
僕が本を読む理由は共感。僕は25歳の会社員で、貯金は少なく、毎日パッとしない生活を送っている。そういう作家が書いた本は共感できるし、元気をくれる。
だが、全く同じ身分だとしても、女性が書いた文章には共感できない。僕は女性が考えることが分からないのだ。


しかしこのドリス・レッシングという作家は、上記の3点を上書きしてくれる情熱で、後半、僕を夢中にさせてくれた。読みながら感心する点がいくつもあった。というか、行ごとに感心させられっぱなしだった。

なんといっても、この丁寧な文章だろう。情景と心情が交互に描写され、ゆっくりと話が進んでいく。不要な文章は1つもない。特に情景については徹底していて、読んでいて「ああ、景色ってこうやって書くんだ」と納得させられた。例えば農場を書くにしても、まず空があり、その中に太陽があり、太陽が土を照らし、土にはトウモロコシが生えており、そのトウモロコシを黒人が収穫しており、黒人の背中は汗で光っており、光った汗はその背筋を強調している……という風に。見たものを順番に書いていけば、それがそのまま読者の目にも浮かぶということを、この作家は教えてくれた。
情景描写には時々ハッとさせるような比喩が出てくる。しかし作者はそれを狙って書いたワケではなさそうだ。

心理描写。この本を貫いているのは、女性特有の「あーあ、私、幸せになれなかったなあ」という後悔である。そして年月が経つにつれて、後悔すら感じなくなるほど怠惰になってしまうという事実も、皮肉を込めて書かれている。主人公のメアリは傲慢ではあるが、典型的な女性でもあるので、読者はメアリを「こういう女いるよなあ」という憐れみの目で見て、どこか嫌いになれない。作者自体がそういう女性なのだろう。

こだわりが強くて優しく、金への執着がない男とは結婚するな、というメッセージが常にあるのも面白い。夫のディックは良い奴なのだが、農場が好きで農場で成功する!というこだわりを持ち、金よりもこだわりを選ぶ。妻はそれを心から責めることができない。そういう男はピュアだから。でも当然お金は稼がない。女性は汚いソファとかボロボロの屋根とか、ベトベトの食器などに我慢できない。ここがこの本の核で、ここで離婚する女性が世渡り上手、というか普通。夫は良い奴なのだが一生貧しい暮らしをしなくちゃいけないとわかった後で、夫に同情し、離婚せずに一緒に頑張ってみようという不器用な女性が、この「草は歌っている」のような破滅的な人生を送ることになる、とレッシングは言いたいのだ。

小説を深みを出しているのが、女性の目線で見た男性のダメなところ。なんというか、全体的に何をやってもうまくいかない男って女性から見たらこんなに腹立たしいんだということがよく分かった。憎めない存在ではあるものの、夫婦や恋人といった関係になると、被害がダイレクトに自分にくるので愛情を越えるストレスになるみたいだ。これはなかなか笑えない。

結果的に、今日の文学シリーズの暫定2位についたと思う。「青空」は好みではあったが、もう内容をほとんど覚えていない。「草は歌っている」は、あれだけねちっこい小説だった割に、読み終えて数日経ってもまだ余熱が続いている感じだ。これがレッシングの処女作というのもとんでもない。一体30歳になるまで何をしていたんだ?


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