残業中に思うこと

ここ最近は2時間くらいの残業が続いている。自分が担当している記事が終わらないのだ。編集者一人一人に1ヶ月分の記事が割り当てられる。割り当てられたら、あとは締切まで誰もその進捗を知らない。つまり一個も記事を書かなくても、締切までは誰にもバレないということだ。

今回僕が担当している記事の量としては普通だが、記事を書くための取材に行くのが遅かったので、取材後から締切までの短い期間で書き終えなければならなかった。書く時間が短いと記事が雑になり、雑になった記事は先輩に赤ペンを入れられる。赤ペンを入れるのは締切前の出稿日。それぞれが書いた記事を持ち寄り、みんなで間違い直しをしようという日だ。その日に入れる赤ペンが多いほど、全員の帰る時間が遅くなる。僕だけならいいが、他の社員さんの時間も奪うことになるので、記事は必ず出稿日に終わらせておく必要がある。

会社に1人残って記事を書いていると、なんだか不思議な気持ちになってくる。というのも、僕はこれ以外の仕事は考えられないと思うのだ。正社員として文章を書く仕事というのは意外と少ない。文章も取材したのが自分だと自由度が高い。リクルートの派遣でも求人募集の概要を書きまくるという仕事ができるが、そんなのはちっとも楽しくない。僕が今やっているのは自分が取材して見たもの+日本の歴史を組み合わせたドキュメンチックなもので、こういうのは楽しい。

不思議な気持ちと書いたのは、ただ楽しいで終われないから。僕のいる出版社は残業代が出ない。小さな出版社は一人一人に残業を払うほどのお金がない。ティファニーやロレックスが雑誌のスポンサーなら毎秒の残業代が出るだろう。しかし、小さな出版社には小さなスポンサーがつく。これは仕方ない。

やりたくもない仕事……例えば保険や不動産の営業(これは僕の勝手なイメージ)で残業代が出ないと、腹が立つだろう。「俺は何をやっているんだ」と思うだろう。しかし僕は昔、といっても大学からだけど、文章を書く仕事がしたいと思っていた。小説の大手出版社でバイトをしても思った。ここは作家と会えて楽しいけど、肝心の自分は文章を書かない。大手出版社の雑誌部署に入れば文章が書けるが、就活では全部落ちた。1年で諦めずに2年目も新卒で受けた出版社もあったが、それも落ちた。落ちた理由は教えてくれなかったが、多分僕の受けた答えが気に入らなかったのだろう。

そう、だから僕が小さい出版社で夜遅くまで記事を書いているのは、とても自然というか、それ以外の道はなかったという感じなのだ。だから残業している時に自分の人生がそこまで間違っていないんじゃないかとホクホクすることがある。大学生の時スーパーの惣菜課でバイトをしていて、たまに大量の廃棄弁当をゴミ袋に詰めて残業している時、「俺は何をやっているんだ」という気持ちによくなった。今はそう思わない。俺は何をやっているんだ!の答えは、俺は遅くまで自分の文章を推敲しているのだ!ということになる。推敲とは、文章を書くなかで一番楽しい部分でもある。と、村上春樹がエッセイで言ってた……




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