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彼女に貯金額を言いづらい

週末、彼女とうどん屋で昼食を食べていた時のこと。
「私、積立nisaと投資信託で毎月10万くらい入ってるんだよね」

僕は「すごいなあ」と言って普通に会話を続けたが、実はそれからうどんの味がしなくなった。というのも、そこで彼女は僕の倍以上、給料を稼いでいることが分かったからだ。彼女は同い年。

彼女は20歳の頃からそういうお金の運用をしていたのだそう。母親に20歳になったら始めなさいと言われたらしいのだ。
一方、僕は20歳の頃何をしていたかというと、「毎日映画を1本観る!」という目標を立てて毎日TSUTAYAに行き、頑張っていた。あとはスーパーのバイトに行ったり、友人とテニスをしたり、ツーリングに行ったりしていた。積立nisaなんて一度も聞いたことがなかった。

うどん屋を出た後も、モヤモヤを抱きながら彼女の隣を歩いた。僕は何も考えずに生きているんだなあ」と。
21歳あたりになってから、僕は人と違ったことをしたいと一生懸命やってきた。みんなが自己啓発を読むなら僕は海外の古典文学を、みんなが好きな映画に「レオン」と書くなら僕は「ヌーベルヴァーグ」を、みんながOfficial髭男dismを聴くなら僕はフリージャズを、みんなが大学を卒業して就職するなら僕はフリーターに……という風に。

その結果、僕は今大阪の出版社で正社員としてカリカリ文章を書いている。仕事は楽しいし、自分に合っていると思う。
しかし僕はもう25歳で、結婚や家庭というのも人ごととは言えない年齢になってきた。にも関わらず、僕は21歳の頃から勝手に始めた「人と違うことをやりたい症候群」のせいで、依然として「お金は株、投資で稼ぐのではなく、自分の腕で稼ぎたい」という現実的とは言えない考えに固執しているようだ。
だから彼女が「月に10万、仕事以外で稼いでいる」と知ると、じゃあ僕は一体何をやっているんだ、ということになってしまった。どう考えてもnoteでカリカリ文章を書いている時間を株や投資に回す方が実用的に思えてくる。noteはほんの一例に過ぎない。彼女が優位なアメリカ株(?)について調べている時、僕は絶版になったフランス文学をあくせく探している。彼女が通勤時に投資信託の何らかの手続き(?)をスマホでやっている時、僕は新しいジャズの発掘に勤しんでいる。彼女だけでなく友人にお金の話を持ち出された時、僕はいつも自分がやっていることが無駄であるように思えて、なんだかなあという気持ちになっしまう。

……と言うものの、「人と違うことをやりたい症候群」はすぐには治らないので、これからもnote書きつつ本も読みつつ、早急にYouTubeやSNSの時間を減らし、その無駄な時間を株や投資といった有意義な活動に変えていくしかない。中途半端な分際で変に非現実的なことばかりにこだわるのは、端から見ればただの子供……


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