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機の深信とは救済の自覚である(閲覧注意!宗教的に厳しい内容あり)
一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし。
ここをもつて如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫において、菩薩の行を行じたまひしとき、三業の所修、一念一刹那も清浄ならざることなし、真心ならざることなし。如来、清浄の真心をもつて、円融無碍不可思議不可称不可説の至徳を成就したまへり。
如来の至心をもつて、諸有の一切煩悩悪業邪
信心の成立についての矛盾
信心成立には衆生の三業は関わらないという宗学のテーゼと、信心とは仏願の生起本末・名号を聞き開くことである(聞くというからには意味認識が関係してしている)の矛盾が多くの難問を発生させている。一念覚不における足利義山の心相覚知説(真宗の信心は心相があり無念夢想ではない、聞いて解了するのであり、寝ている時にはおきないのであるから覚知なしとはいえない)と利井鮮妙の信心非意業説との論争もそうである。三業派を
もっとみるやわらかい心をはぐくむ〜疫病の時代の処方箋〜
それ衆生ありて、この光に遇ふものは、三垢消滅し、身意柔軟なり。
(無量寿経)
みなさま、こんにちは。私は、名古屋市にあります浄土真宗本願寺派・西念寺の住職をしております岡林俊希と申します。どうぞみなさま、心と身体を楽にしてお聞きいただきたいと思います。今回、このようなかたちでご法話をYOUTUBEに投稿させていただきましたのは、このコ
「無宗教」の日本人とお葬式
愛知県の企業が「お坊さんのいないお葬式」を提案し、サービス開始に向けてテレビ、新聞等で広告をうっています。テレビCMでは初老の男性が「なぜ無宗教なのにお坊さんをよぶのだろう」と言っています。
少し話題になりそうなので、この際、一般家庭から僧侶となって、葬儀に関わるようになり感じたこと、考えたことを言わせていただきます。
まず日本人は無宗教であるということについて。特定の宗派等には帰属意識の
動物は往生できるのか
先日、NHKおはよう日本でのペットと一緒に入るお墓と仏教の教義についてのニュースを見て少し思うところがあったので、しるしてみます。
ペットと一緒にお墓に入りたいという多くの方の要望に対して、浄土宗の研究員の方が経典と解釈を見直した結果、畜生(動物)も死んで次の生に極楽浄土へ生まれることができるという根拠を見出したので、教理として(ペットと一緒にお墓に入ることは)問題ないという回答を出したという内