私の間違いは何だったか?
これまでのあらすじ
僕が書いたnoteの記事が
とてつもない反響を呼んでいる。
僕に共感する人から怒る人、否定する人、怖がる人、
シンプルに内容が面白いという人…。
特に2つ目の記事は
怖すぎる、こっちに本性が現れている
と基本的に大批判。
たくさんのご意見を頂いた。
まずはご意見いただいた皆様、本当にありがとうございます。
全て真摯に受け止めます。
これまで、ラニーノーズのファンの方に
「批判するのは良くない!Twitterに書くべきではない!」と
散々言われてきた。
ライブに行かなくなり、
僕はSNSで繋がっているラニーノーズのファンの方々のツイートを見て
「羨ましいなぁ。僕もまた観に行きたいなぁ。。。」
とずっと思っていた。
そして、見ていると羨ましくて仕方が無いので、
思い切ってラニーファンのフォローを外した。
最近ラニーから離れているという人を残して、
十数人一気に外した。
こちら側で一旦ブロックして、解除する。
(いわゆるブロ解と呼ばれるもの)
そうすると、
僕が時々ラニーノーズについての考えをツイートしても
(「なぜ自分が悪者扱いなのかわからない」など)
もうファンが僕のツイートをみていないので、
誰も何の指摘もしない。
僕はひとりで、ずーっと考え続けた。
考えたくなかったが、どうしても好きなので頭に浮かんでしまう。
Runny Noizeの公式LINEはフォローしたままだった。
僕はLINEをほとんど使わないし(友達がおらず連絡が来ないから)、
特に見ないからLINEの存在も気にしていなかった。
ある日、たまたまLINEを見ると、
名古屋でのRunny Noizeのライブの告知が目に入った。
どうしても行きたくて、連絡をした。
(これが「【進捗】推しにブロックされて8か月が経ちました」に書いた連絡)
そしてブロックされた。
悲しくて、Twitterでひとりごとをたくさん書いていた。
友達が幼少期からいなくて、
それで僕はこうなってしまったのかなぁ??
など。
大学は春休みで、バイトの時間以外は
家でひとりでずっと過ごしていた。
たまに行くライブだけが楽しみだった。
他は何もしていない。
そうすると、どうしても
頭の中で洲崎さんのことを考える時間が増えてしまった。
なんで?8か月経ったのにまだブロック解除してもらえないの?
そろそろ「あぁいうファンがいてもしょうがねぇな」みたいな考えには至らないわけ???
孤独に考え続けた結果、自分がひとりで出した答えが
あの記事である。
するとしばらくして、
僕の記事が何故かたくさんの人に見られた。
きっかけのひとつはこちら。
お笑いコンビ「馬鹿よ貴方は」の新道竜巳さんが
YouTubeで僕のnoteを取り上げてくださった。
そしてしばらくして、
そのことをTwitterでシェアした方のツイートがバズり、
流れで僕の記事が読まれ、
たくさんの人にシェアされた。
そうして、僕はたくさんの方にコメント、意見、メッセージを頂いた。
そして、僕は
自分の考え方の誤りに気付いた。
本当に気づけているかわからないが、
気づけた気がする。
今まではラニーノーズのファンが注意してくれて、
僕はそれを参考にして考えて発信できたり、
時々こんな僕にも会ってくれるラニーファンの人がいた。
だから、「推し活を始め、推しに認知され、SNSをブロックされるまでの1年半」のほうの記事では
俺はまだ正気を保っていたのだと思う。
だが、
他のファンとのTwitterでのつながりがなくなり、
特に相談できる友達もいなかった僕は、
ひとりで家でずーっと考え続けた結果、
とんでもない思考をしてしまっていたのである。
そして、自分で物事を考えるだけだから
相手への伝わり方とかを気にしていない。
思考のなかでは、相手がどう思うとかを気にしないから、
どんどん上から目線になっていく。
喋らず、ひとりで考えているだけだから。
そのことに、やっと気が付いた。
新道さんや、記事を読んでくださった他の方々がいなければ、
僕は一人でずっと考え、
ひとりで泣き、悲しみ、
変な考えを頭にめぐらせ続けていただろう。
自分の中で自分が神様になり、
全ての人を見下ろしていただろう。
僕の間違っていた考えのひとつめは、
Twitterという存在について。
僕は、
Twitterというものは「呟き」であるから、
基本的には
「ひとりごとをボソボソと呟いて(ツイートして)、それをフォロワーがのぞき見る。共感したら、こっそり話しかける(リプやDM)」
というものだと考えていた。
そして、Twitterにはもう一つの側面があり、
それは
検索して何かを調べている人に向けて、その何かの口コミを書く
というもの。
①ひとりごとを言う
②口コミを書く
このふたつの使い方があるのがTwitterというSNSであると考えていた。
どういうことか。いくつかツイートの例を挙げてみることにする。
①ひとりごとを言う
「今日のライブ面白かった~~」
「Runny Noizeセトリよかった~~」
「え?ラニーの今日のネタ、全然面白くなかった!!なんでだろう。そう思ったの、俺だけなのかなぁ…」
「今日のライブ、あんまりだったなぁ…」
②口コミを書く
「今日は大阪の○○というライブハウスでRunny Noize見てきた!
カッコよかったし、何より洲崎さんの歌声が最高でした!絶対次のライブも行きます!!!
次はThe Nameも歌ってほしい!
#RunnyNoize
」
「今日は○○というライブに来ました。
思ったより年齢層高めで、ゆったり音楽に浸ることができました。
でも、もうちょいはしゃぎたかったかな。ライブハウスだし。
また来ようと思います。」
①と②のこの2つの使い方が主にあると思う。
呟き だから、
ファンは「今日ラニーノーズつまんなかったなぁ」と嘆いてもいいし、
食べログで「味が濃すぎた」とレビューしても特に問題ないのと同じで
「今日はライブ微妙でした!」とツイートで口コミを書いても問題ない。
エゴサーチする演者本人は、
ファンがライブ後にどんな独り言をこぼしているか覗き見たり、
どんな口コミを書いているか見たりする。
だから、
正直に思ったことを書けば良いし、
なぜそれで
僕が何故こんなに怒られるのか全くわからなかった。
僕はRunnyNoizeのライブの時、
メンバーに
「名古屋にいっぱい呼ばれてほしいんですけど、なんか僕できることないですかね」と聞いた時
「クチコミかなぁ。」と言われたので、
積極的にツイートやnoteを駆使して
口コミを書いていた。
泣くほどつまらなかった、と書いても
「それでもファンで居続けるなんて!ふだん、よっぽど面白いんだろう」と思ってもらえて
宣伝効果は十分あると思っていた。
実際面白いネタたくさんあるし。
僕は①②両方の面の使い方でTwitterを使い、
使いこなしていたつもりでいた。
だが、
この考えは誤りがあった。
僕は、Twitterの「呟き」という表現に惑わされていたのだ。
フォロワーも少なくほとんど誰も読んでいないとはいえ、
呟いているという感じではない。
みんな、僕と同じ認識でTwitterを使っていない。
呟いて、それを覗き見る
という感じではない。
Twitterはサービス開始当初は僕の認識のようなものだったのかもしれないが、
今は
告知、宣伝、布教、、。
とにかく、大人数に言うという感じである。
ちょっとつぶやきを覗き見、と言う感じではない。
それに気づけなかったのだ。
全ての元凶はそこにあると思う。
Twitterの規模感、距離感。
気づけて、よかった。
僕を心配して連絡してくださる方何人かと話していて、やっと気づいた。
僕と同じように、芸人ではないけど推し活で失敗したという話をいくつか聞かせていただいた。
その方も、僕みたいにnoteにまとめたりはしていないけれど、
僕と同じように考え
同じような経験をして
考えを改めたのだそう。
聞けてよかった。
ひとりで愚痴をこぼす、
ファンがたまに共感してくれる、
ファン同士飲み屋で喋ってるくらいの感覚だったけれど、
呟きと言う名称でそう思っていたけれど、
とはいえ全世界に発信していることには変わりない。。
そうだよね。。
そして、
大事なことがもう一つ。
ファンだから、ファンと認知されているから
ある程度の苦情も受け入れられる(採用されなくても)
これが間違いだったみたい。
急に話が変わるが
僕は、日本の政治に憂いている。
投票率が低い。
若者は、政治に声を上げない。
ちょっと不満に思って、でも選挙にいかない。
声を上げ、民衆が集まれば、
デモをすれば、
ネットでも政治への批評をすれば
少しは政治が良くなると思う。
政治家にナメられなくなっていくと思う。
僕は、ラニーノーズに対しても
それと同じように考えていた。
ネタがつまらなければ声を上げ、
つまらないネタをさせないために、
泣きながら遠征から帰る人を減らすために、
満足して帰れるように
声を上げ、ファンが活動を監視せねばならないと思っていた。
舐められないように意見しなければならない。
しかし、ついさっき気づいた。
ラニーノーズは、
僕の大好きな洲崎さんは、
監視しなくても
パーティー券で得たお金を不記載のままにしたり、
海外にばかりお金をばら撒いたりしないし
漫才やコントやバンドをしているだけ。
頑張って監視しなくても、
ネットで声を上げなくても
彼らなりにやってくれるから
楽しんだり、たまに心で不満に思ったり
ときめいたりしながら見ていれば良い。
監視しなくて良い。
いちいち口出ししなくて良い。
ファンどころの騒ぎじゃないくらいまで
好きになって、
「ネタ頑張ってるらしいから!!大好きな洲崎さんのメインの活動だし、応援しなきゃ!」
となって、
好みと合わないものまで無理に応援しようとしてしまっていた。
そして、勝手に苦しんで泣いてしまっていた。
ネタ、頑張ってほしい!賞レースで結果出てほしい!洲崎さんの頑張ってる姿、見届けなきゃ!!
と、無理やり応援しすぎていた。
そして、
くそー!!つまんなかったーーー!
ぎゃーーー!と
勝手に大騒ぎ。
ラニーノーズの元ファンの僕の知人の1人に、
Jリーグを応援している人がいる。
サッカーなどスポーツだと、
結構試合会場でも熱くなって
下手すりゃ誹謗中傷レベルのこと叫んじゃうファンもいる。
スポーツ観戦などしたことなく、なんとなく
そんなファンも居て当然、居て普通だと思っていたのだが、
僕のその知人曰く
そういう試合会場で熱くなりすぎちゃう奴は全然嫌われてるらしい。
そうなんだ。
批判するな!という意見を他のラニーノーズファンに言われたとき、
スポーツ観戦とかだとみんな普通に悔しい思いを口にしてると思うけどなぁ、、
なんて思ってピンと来ていなかったのだが、
スポーツ界隈でも
あまり良くは思われていないのだ。
批判してしまうのは、よくないことだ。
良いなと思うものだけ、
観れば良い。
バンドと、
たまにやるベストネタライブ、営業など
仕上がりに仕上がったネタだけ観れば良い。
僕は、YouTube、テレビ、公開収録、単独ライブ…でネタを数本見て、面白い!と思ったものが何本かあっただけで、
新ネタも全ネタ好きとか
そういうことではない。
基本的なこと、やっと気づいた。
僕は、なぜ気づけなかったのか。
Runny Noizeのファンからの意見で、似たような意見をいただいたことがある。
でも、そのときは
「いやいや、ここぞとばかりに洲崎さん達に好かれようと言っているんだな!!!」と思ってしまっていたし、
自分で考えて考えて結論を出すと、自分は正しい!!となっていた。
いままでずっとそうだった。
学校で友達がいなくなったら、
原因をひとりで考え、
ひとりで考え続けた結果
自分が正しいんだと思ってしまった。
ひとりで過ごすと、ずーっと余計な考え事をしてしまう。
そして、自分が正しいという結論にたどり着いてしまう。
だから僕は、自分が悪いと思ったことがなかったのだ。
しかし、今、
考える間もなく
次から次へといろんな方が意見を下さる。
いろんな人が親身になって相談に乗ってくれる。
そのおかげで、やっと、気づいた。
ひとりで考え込むのは良くない。
然るべき機関に相談したりしなければならなかった。
20歳のうちに、気づけて良かった。
ご意見をくださった方々、本当にありがとうございました。
この人数に言われたら、
さすがに考えも変わるものだ。
様々な意見があったが、
推しに愚痴を言いたい人が集まる、鍵垢の
愚痴垢なるものの存在がこの世にはあることを教えてもらった。
そういうところで吐き出すのがいいみたいだ。
そっちに行けば、僕が思っている本当の「呟き」ができるかもしれない。
新しくTwitterをフォローしてくださった方々、相談に乗ってくださった方々に心から感謝し、
いろいろ話をして、
人に迷惑をかけず
推し活ができるよう心がけようと思う。
怖い思いをさせた方、
ラニーノーズファンの方、
申し訳ありませんでした。
なにより、
ラニーノーズ、まわりのスタッフ、よしもと、
皆さまに謝罪したい。
謝罪すらも受けたくないなら、
僕はもう関わらない。
関わる権利もないと思う。
もう、noteやTwitterでラニーノーズや洲崎さんについては触れない。
不本意な形でラニーノーズがTwitterのトレンドに入ってしまった。
本当に申し訳なく思う。
これ以上ネットを騒がせてはならないと思うので
ラニーノーズについて話すのは、
頂いたDMに返答するときだけにしようと思う。
お笑いを見るのも、向いてないみたい。
とりあえず、お笑いライブは
今チケットを取ってある分だけ観たら
しばらく行かないかなぁ……。
RunnyNoizeのライブに行かなくなってから、
別の若手アーティストのライブに何度か行っている。
彼はそもそものライブ出演回数が少ないが、
ライブがあればなるべく多く行こうと思う。
そのアーティストのファンの友達が少しだけいる。
友達が出待ちするというのでいっしょにした。
2回ほど。
でも、僕は洲崎さんの件の二の舞にならないよう
自分からアーティストに話しかけなかった。
1回は、向こうから話しかけて来てくださったので
写真を撮り、少しだけお話した。
いつもライブ配信にコメントしたりしているから、名前を覚えられている可能性もあるが
名乗らなかった。
2回目は、遠くから見守るだけにとどめた。
友達はいっしょに写真を撮ってもらっていたが、僕は撮らなかった。
アーティストの帰り際、少しだけ笑って、
本人にバレないくらい小さく手を振った。
友達が言う。
「本当に何も話さなかったね。いいの?」
僕は、
これくらいの距離感で応援するのが良い。
これでいい。
覚えられたりしなくていい。
そのほうが、お互い、幸せかもね。
僕も、アーティストも、友達も。