コスプレAVで考えるVtuberの見方
※この記事は18歳以上向けアダルトコンテンツであるAVについて触れます。18歳未満の方や、アダルトコンテンツを好まない人、また現実的な話を読みたくない方はブラウザバックをしてください。
今までの記事
今までも、Vtuberの見方については、以下の記事を書いている。
コスプレAVはどう見ているのか
詳しくは書かないが、簡単に言えば、アニメキャラのコスプレをしている女優が出演しているAVである。そこで単純に疑問に持っていることがある。
「アニメキャラがえっちされている」と思って見ているのか、
「コスプレイヤーがえっちされている」と思って見ているのか。
たとえば、もうすでに過去のことだが、TMAというメーカーがアニメパロディのAVをたくさん出していた時期があった。それこそ、アニメの1パート丸々をなぜかコスプレした女優たちが濡れ場もなくただただアニメを再現するだけ。あれもどういう形で見ているのか。
Vtuberとの共通点
で、何がVtuberとつながるのかというと、Vtuberをどう見ているのかという話。
「Vtuberを1つの人格・人生」として見てるのか、
「あるヒトの人生のうちのVtuber」として見ているのか。
いったい何が言いたいのかというと、”Vtuber”なのか、魂のあるVtuberなのか。
”Vtuber”と考えると、その魂の素性などどうでもいいはずで、(声優がどうであろうが、アニメキャラには影響しないのと同じように、)魂が結婚しようが、飲酒しようが、喫煙しようが、どんな過去があろうが関係ないはずである。
アイドル売り
よく恋愛関係で引き合いに出されるのは、アイドルである。2ちゃんねるの有名なスレでのやり取りで
アイドルもアイドル声優も彼氏がいるのがむしろ「基本」
幻想売る商売なのにその幻想を真実だと思いこんでる時点で
オタクって底なしのヴァカやと思うわ
そんなこと誰でもしってる
でもミッキーは人前で頭をはずすことはないんやで
というものがあるが、Vtuberで考えるとどうだろうか。魂のあるVtuberと考えている人は、同じことが言えるだろう。じゃあ"Vtuber"と考えている人は?Vtuberは幻想ではなく、"Vtuber"そのものである。
加えて、現状はミッキーは人前で頭をはずすことはないかもしれないが、周りが無理やり頭をはずすことがあるのではないか。根掘り葉掘り漁るだけ漁って、本人がどういったって聞きやしない。頭が外れそうになったら、ファンまでもが中身を覗こうとして、中身が見えたら見えたで「ミッキーは人前で頭をはずすことはないんやで」というやつもいる。
結局は都合がいい
結局はその時々で”Vtuber”として見たり、魂のあるVtuberとして見たり、都合のいい見方をしている。なぜその都合のよさが逆にならないのだろうか。魂で何かあったときは"Vtuber"としてみれば、なにも気にならなくなるのに。ということは、多くの人が、"Vtuber"として見てるのではなく、魂のあるVtuberとして見て、好きになってるのはVtuberを通した魂の方になっているのではないか。
そんなことに、コスプレAVを見ていた自分が、「あ、コスプレイヤーとして見てるんだな」と気づいたときに思ったことなので、そんなに真面目に受け取らないで欲しい。
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