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茶の歴史

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茶の歴史について
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#京都

茶道とは何か?②

画像:「和敬清寂」茶の精神を四規として唱えた語。 The essential spirit of "chadō" is exp…

茶道とは何か?

これまで通史的に述べた茶道論を少し違った視点で見てみる。 倉沢行洋氏は、茶道とは「茶湯(ち…

茶道論「分限論」 —江戸時代—

「分限論」とは 異風を良しとした戦国的茶の湯が世の非難を浴びるとき、すなわち近世的な茶道…

茶道論「茶禅一味論」② —江戸時代—

茶禅一味の初見茶禅一味の初見は大林宗休が武野紹鴎の画像に賛した偈である。 「大黒庵主一閑…

茶道論「茶禅一味論」① —安土桃山時代—

「茶禅一味論」とは一休宗純、村田珠光、武野紹鴎、千利休、千宗旦の時代という茶道草創期。安…

茶道論「芸能論」② —中世の芸能—

四つの芸能性の性格要素 芸能と茶一、ふるまい 「芸能表現」 舞台芸能における芸能表現とは…

禅院と茶 —薬効の茶から文化の茶へ—

禅院と茶、そして茶礼 鎌倉時代前半の茶は薬用であるとされているが、中国の禅院では寺院内の生活規範を定めた『禅苑清規』(1103)が用いられ、「茶礼」が確認できることからも、栄西が伝えた抹茶は平安時代と異なり禅を背景としたものであった。 道元は栄西の弟子明全と入宋したのちに曹洞宗大本山永平寺を開創。 大徳寺を開創した宗峰妙張(大燈国師)の師にあたる南浦紹明(大応国師)も文永四年(1267)に帰国したことからも、『禅苑清規』は日本国に定着し、禅と茶は結びつきを一層強固にしたと

抹茶の始まり

抹茶の始まり—鎌倉時代— 『吾妻鏡』によると、建保二年(1214)鎌倉の福寿寺に住していた栄…

日本における喫茶の始まり③

『日本後紀』にみる喫茶の始まり。 『日本後紀』とは、 『日本後紀』によると、弘仁6年(81…

日本においての喫茶の始まり②

漢詩集に見られる茶 9世紀の喫茶の様子は漢詩集に窺うことができる。 『凌雲集』・・・書名正…

日本においての喫茶の始まり①

「季御読経」における朝廷の「引茶」 「季御読経」 奈良時代、聖武天皇が春秋二季に奈良東大…

「茶」の歴史②   陸羽の『茶経』:中国

日本で茶道といえば、一般的に千利休を思い出すが同じように中国では茶道の元祖として「陸羽」…

「茶」の歴史① 茶の起源:中国

喫茶の起源 茶の木の原産地は、従来インドのアッサム地方や中国雲南省、四川近辺とされてきた…

唐物の辞書的意味

唐物翫賞、会所の茶、茶の湯などをキーワードとして、「わび茶」以前の茶であり古いお点前が今にも残っている。「唐物」は中国からの舶来品だけでなく日本で模したもの、南蛮物も含まれた総称であった。