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拝啓 ヤンデル先生 そして 医療者のみなさま。ご要望はどんな授業ですか?

ヤンデル先生が書かれた佐渡島さんとの書簡を読み、痛烈に自分の問題意識と重なることがあった。

非常に良い文章だった。医療者として、現時点でのある種の負けを認めた上での決意が書かれている。僕はヤンデル先生のこういう姿勢が大好きだ。素直に足りていない部分を吐き出し、その上で無理なことや、解決策を考えることができる人は立派だ。うわべで綺麗な言葉ばかり並べる人よりも、こういう人こそ信頼することができる。


特に、僕が強く意識したのは以下の部分だ。

医者はもう少し殴られた方がいい。外部に届いていませんでしたね、情報発信がへたですね。これじゃ届きませんよね。どうです佐渡島さん。わかってるんですけどうまくできないんです。これって直せるものなんでしょうかね。ぼくらの発信方法。コンテンツのそろえかた。みせかた。サービスとして成り立たせるには。正しさだけ書いたってほんとに悩んでる患者には届かない、そんなことわかってるんです。でもうまくいかない。

そう、ヤンデル先生が言っている通り、現状で医療者は負けているのだ。医療者の正しい情報は正しい科学的な情報であるということを逆手に取られて劣勢に立っている。もちろん、相手は「ハートフルで非科学的な情報」であり、本当の被害者は患者だ。僕も、修士課程でしかないけれど、生物専門の理科教師としてなんとかしないといけないと思っている。


やっぱりこの現状は、教育の敗北でもある。


世の中のそれなりの人が怪しい医療情報に流されることを止めることが出来ていないのは、医療者と教育が劣勢に立たされている証拠だ。怪しい情報に振り回されないスキル(そう、これはスキルだ)は中等教育で養うことができると思う。

怪しい医療情報に流されないことを目的として考えてみると、どのようなスキル(やもの)が必要なんだろう。

怪しい医療情報に流されないために必要なスキル(ともの)

 →①中学卒業レベルの理科の知識(高等学校の基礎付き科目レベルの方が好ましい?)②サーチした情報を科学的に読み取る力(そもそもサーチによって科学的な情報にたどり着く力)③ピンチな時にこそ科学的に考えられる精神力④病気の時に自分をちょうどいい距離感でサポートしてくれる家族(や友人)…

え、これって医療者でなくほぼほぼ教育の敗北じゃね?って思えてきた。医療者が担うのはサーチされた後の情報のみでしょ?どうしよう。ぼくらの責任じゃん…。

やっぱり、こういう危機感を抱いて工夫を凝らした授業をしている理科教員は結構いると思う。

ちなみにぼくも僭越ながら。「あなたは医者です。こういう症状を訴えている患者がいます。どういう病気で、どういう治療法があり、どういうリスクがありますか。目の前の人を患者役として、説明しなさい。」といった授業をやっている(これは他人の取り組みを参考にした)。あと、哲学プリントもそういう一環のひとつ。

そこで、ぼくは知りたい。医療者は教師にどういう授業をやって欲しいんだろう?学校教員は、その情報がない。医療者がどのような取り組みを教育に期待しているのか、それが知りたい。

もちろん知った上で、簡単にいかない点もある。病気や死に関する話題というのは、個々人が抱える事情がもちろんあることから、やっぱり教師側も少しは日和る(というかいろんなことを想定しないといけなくなる)。あとなにより、中高生は死に近い人ではないし、身体の状態や能力は良くなっていく一方のひとたちだから自分のこととして本当に考えられているかどうかも不安だ。

でもでも、死のことを考えるというのは予防接種に似ていて、健康で元気な時に考えることが大切だと思っている。だからこそ、中高で考えるのが大事だ。


全部ふまえて、やっぱり知りたい。

医療者はどういう教育を行って欲しいと思っているんだろう。

そんなことが気になるnoteだった。


っていうか医療者のどなたか、授業しに来てくれないかなぁ(ボソ)

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