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【持続可能な魂の利用】アイドル観が合わない

持続可能な魂の利用 松田青子 中央公論新社

アイドル観が合わなかった。

この感想に尽きる。
この物語の主題とはズレた感想なのだが仕方ない。

そもそも読もうとしたきっかけが
【欅坂46】の【平手友梨奈】さんをモデルにしたと思われるアイドルが出てくるという口コミをたまたま目にしたからである。
私にとって【平手友梨奈】さんこと【てち】は【欅坂46】のセンターで興味を惹かれる存在だった。
ファンではなかったが画面で見かけたら目で追ってしまうほどには惹かれていた。
小説の中にモデルがはっきり分かるレベルで書くのならば作者もきっとその子及びそのグループのファンなのだろうからファンから見た【欅坂46】の姿が書かれているのだろうと思い興味を持った。

私なりに本著のあらすじを説明すると
概念的「おじさん」が概念的「少女」を認識出来なり、「少女」が「おじさん」から解放されて自由になるという話である。
結末も少し不思議な設定だった。

概念的「おじさん」の存在も、女性が生きていく中で出てくる生きづらさもツッコミどころはあるが理解が出来た。
ただ、登場人物のアイドル観が自分のアイドル観と全くそりが合わず読んでいて鬱憤が溜まった。
自分が好きなグループが一番なのは分かるが、まるでそれが唯一絶対の正義みたいな認識は違うでは?と言いたくなった。
推しはその他のアイドルとは一線を画してるぜ!みたいな考えは私にとって気持ちが悪かった。こんな露骨な表現ではなかったが私にはそういう風に受け取れた。
多分、登場人物は【欅坂46】の【サイレントマジョリティー】【不協和音】的な部分が好きなのだろうなと感じた。
私はその中に【2人セゾン】みたいな楽曲がまじっているバランス感が好きだったので登場人物とは趣味が合わないと思った。

アイドルの推し方として信仰のような人もいるがこの物語の登場人物はそのようなタイプに見えた。
アイドル観として合わなかったのは登場人物が特定のアイドルを信仰していることではなく、その他のアイドルをどこか自由のない可哀想な存在に捉えていた点だ。
他のアイドルをよく知らないのに全体を知ったかぶって自分の信仰(推し)のみを特別視する姿勢に虫酸がはしった。
私はアイドルをファイターだと思っている。
アイドルになれるスペックを持っているならば普通に生きていたら人生イージーモードのはずなのにわざわざ自ら強豪ひしめくハードモードの世界に飛び込んでいるのである。自分の全部で戦っているカッコイイ人間というイメージだ。
好きでアイドルという職業を選んでいるのだろうし相応の覚悟もある人間を十把一絡げにして性的に搾取されていると捉えるのは解釈違いである。

この物語は「おじさん」と「少女」の対立構造なのだがそこにアイドルを巻き込んで欲しくなかった。
確かに物語としてキャッチーになるがアイドル界隈はそんな単純な対立構造ではない。もっと複雑怪奇な界隈に感じる。
「おじさん」という概念も理解出来るが、分類ではなくグラデーションに感じる。
登場人物のアイドル観も私からしたら「おじさん」の概念に当てはまる。
誰しも「おじさん」的な考え方を多かれ少なかれ持っているだろうに「おじさん」という分類を作るのは難しいのではないかと思った。

私はハロプロ好きで、48・坂道も嗜むというタイプのヲタクなのでヲタクのタイプによっても受ける印象が違う物語なのかもしれない。
少なくとも私はアイドルヲタクの自分がアイドル観が解釈違いだと騒いで素直に物語として読むのが難しかった。

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