定食屋「欽」譚 (9)

1967年3月24日

 美代子が高校を卒業する年の3月末、家の北側にある4畳半の自分の部屋で、就職のために札幌へ越す準備に追われていた。窓からは犬走の外側が小高くなった裏庭の残雪が見え、日の当たる東角は雪解けが進み、蕗の薹がわずかに頭を出している。段ボール箱へ、読み終えたが手放せない文庫本や辞書、未使用のノートを詰めていると巌に仏壇の間へ呼ばれた。雲が厚く、暗く冷える日で、午後になるとボタン雪が降り始めた。
 家に和はいなかった。農繁期に入る前の恒例の慰安旅行に参加している。地域の農協婦人部の主催行事で、二泊三日の十勝岳温泉へ今朝バスで出発した。 
 慰安旅行へは数年前から夫婦で参加するようになっていたが、今年は美代子の就職があるので巌は早くから不参加と決めていた。和は年1度の恒例の行事を、娘のためにふいにはしなかった。長年の不干渉のせいで、自分のことを何でもこなせるようになった娘にとっても母の選択は当たり前のことだった。
 美代子の引っ越しは、26日、日曜日の午前中で、和には今朝方挨拶を済ませた。「お世話になりました」「気を付けてね」の会話以外、特別なことは何もなかった。
 仏壇は、ミカン箱に位牌とりん、香炉、ろうそく立てが置いてあるだけの質素なものだった。仏像の代わりなのか、正面には不動明王の絵が貼ってある。絵のうまい父の叔父が、欽一のために描いてくれたもので、朱の入った墨絵の気迫に満ちた仏画だった。
 父は線香を上げ手を合わせていた。すでに石の意味を知っていた美代子は、2週間の間小座布団ごと消えていた石が、元の場所に戻っているのを見つけた。
 巌が仏壇前の座布団から下がったので、続いて兄に線香を手向けた。膝元の石に文字が刻まれているのに気付いて父を振り返った。
「これはどうしたの?」
「知り合いに、アンモナイトを掘っている奴がいて、石に文字を刻めるっていうから頼んだ。欽一って彫りたかったが、あいつが、墓が二つあると迷ったら困るから『森の子』にした。欽一にふさわしい言葉だろう。最後にあいつが握っていたものだからな。これにはあいつの気持ちがこもっている」
 巌は畳の上で座り直して、石を撫でている美代子に向かい合った。
「ちょっといいか」
 娘へ何かはなむけのひとことでも言おうとしているのか、すぐには言葉にならないようだった。
「欽一が死んだのは俺の考えが甘かったからだ」
 巌が欽一の死について、美代子に話すのはこの時が初めてだった。陽が差したのか、降る雪のぼんやりした影が窓の障子に映っている。石の上にも撫でる美代子の手の甲にも動く雪影が映る。父はしばらく障子の影を見やっていた。
「欽一なら大丈夫、と暗くなるまで待ったのが間違いだった。まだ子どもだったのに。あいつは用心深い、頭はいいし勇敢だし、イルムケップのことは俺より詳しいと、どれも驕った自分本位の考えで、あいつを死なせてしまった」
 くっきりと刻まれた眉間の、縦2列の皴をますます深くして、美代子が撫でていた石を小座布団に据え直し、布団ごと美代子の膝に載せた。
「お前にも、和にも申し訳ないことをしたとずっと思っていた。これを傍に置いて、欽一のことを忘れないでやってくれ」
「兄ちゃんの石を私が持って行くの? お母さんが怒るでしょう」
「美代子が心配で行った場所で起きたことだ。あの世でお前を探し続けていたら困る。お前のそばに置いておけばあいつの魂が鎮まると思うんだ」
 一呼吸の間があった。
「いいか、美代子。欽一がああなったのは俺のせいだ。和がどう思おうと、お前は、何にも、悪くないんだ」
 巌は最後の言葉を、幼い子に言い聞かせるようにゆっくりはっきりと言い切った。もっと早くに聞きたかった言葉だった。それで自分の気持ちが軽くなるとは思わなかったが、父には許されていると思えたはずだ。兄の石は膝の上で重さを増していく。
 あれ以来、和が美代子に冷たく当たるのを、否、まったく向き会わないのを巌は気にかけていた。美代子自身は「母の言う通り、自分のせいで兄を死なせた」、だから母の態度は仕方がないことだとあきらめがついている。むしろ石を持って行ったのを知った母がどうなるかが心配だった。
「欽一が一番やすらかでいられるのはお前のそばだ」
「お母さんがいいというわけがないでしょう」
「和は、この数年で気病みから回復してきている。やっと新聞を読むようになったし、テレビも見るようになった。この慰安旅行もそうだ。少しでも、前の和のようになるなら俺は何でもしようと思っている」
 確かに母は、野良仕事や家事の時以外、仏間に閉じこもるような生活をしていたが、美代子が高校生になったころから、少しは出歩くようになった。テレビを買った後もしばらくは午後7時のニュースぐらいしかつけていなかったが、今では大河ドラマなどを見逃がさない。変化の原因はわからないが、父の努力もあって、良い方向を向いている。
「今の和にとっては、これはないほうがいいと思う。思い出は胸にしまっとけるものだけにすればいいんだ。忘れることも薬さ」
 巌はあくまでも考えを通したい。和のいない間にしかできないことだから持って行ってくれという。雪がやみ、長くなった日差しが障子の桟を際立たせる。父は、美代子には忘れる薬はいらないと思っているのだろうか。
 
 その夜、美代子が作った夕飯を食べ終わり、片付けを済まして居間に戻ると、巌はテレビでニュース番組を見ていた。美代子は、玄関の上がり框にまとめた手荷物を点検した。1日遅れで、巌がチッキで送ってくれることになっている部屋の段ボール箱数個と布団や机など、大きなものは札幌で美代子が受け取る。
 父の横に横に坐って、テレビを一緒に見始めると「もう一つ言っておきたいことがある」と胡坐のまま美代子に向き直った。
「美代子はもう大人だから、話しておいた方が良いと思うんだ。小さい時の話だから、事故のことは聞いていたとしても、靄がかかったみたいな感じだろう。きちんとした話は、俺にしかできない。お前には残酷なところもあるかもしれないが、欽一に起きたことの全部を知ってもらいたい」
 恭太に事故の顛末を聞かされた時のことが重なる。あの時と同じ季節だ。父の口調もどこか否応ないという点が恭太と共通していた。
 欽一がどこでどう亡くなったか詳細を聞かされた。父には恭太から知らされているとは伝えていない。巌の話は恭太から聞いたものより、現実味を帯びて具体的で、辛い真実だった。

 欽一は、水源地の少し上を西に300mばかりはいったところにある沢で発見された。美代子が待っていた森の開けた場所からは少し西側で、沢はあちこちが急峻な崖のようになっている危険な場所だという。
 沢伝いに捜索していた村人からは死角となる、雪解け水で切りこまれた溝の底に下半身が沈み、うつ伏せに倒れ、重なり合った落ち葉が、傘のように突き出て欽一の身体を覆って発見を遅らせた。左腕を宙に伸ばし指を五本広げていた。右手は黒い石をつかみ今にも這い上がろうとしているように見えた。
 鼻に打撲痕があり口から血が流れていた。溝には皮が剥けて下向きに倒れた細い生木がいくつもあり、地肌がむき出しになっていて、溝から抜け出そうと格闘した形跡があった。
 検案した医者は、巌に「滑り落ちた時、木の枝で鼻を強打し骨折したのだろう。顔の中で出血して神経がやられ呼吸が止まった」と説明したという。
 美代子は、父が自分に言っておきたかった欽一の全部を確かに聞き取った。「残酷かもしれないが」と娘に話した父親の心の底にある思いを全部。話されたすべてを、恭太のように胸に叩き込む。
 父も恭太も、自分を許すことができないでいる。美代子が自分らと同じように、欽一に起こった全部を知り、弔い偲ぶのが家族の役割と頭から信じているのだ。
 聞きたかっただろうか。知りたかっただろうか。細かいことを知ったからと言って何が変わるのだろう。「自分のせい」という呪縛から逃れる手はないのだとすでに知っている。しかし、欽一の死に際の姿は、新たにカラー映像のように17歳の美代子に記憶された。
 巌は話したかったのだ。話すと決めたのだ。話したことで父が少しでも癒されたのならよい、和は胸の内の思い出の中で生きていけばよい、と思うほかなかった。兄の最期の思いをまとった石は、その日美代子の元へやってきた。

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