大嫌いだった歴代友達と、現在ボッチな私の話

夏はなんか寂しいのでスケジュール帳を埋めようとする。
インスタのストーリーに出てくる水着、海、花火、お祭りにとっても焦るので。

私は、「キラキラしたい時に会う友達」と「共感し合いながらこの世を一緒にサバイブしていこうぜという友達」の2種類がいる。
前者、「キラキラしたい時にあう友達」とかかわるのは、自分の肥大した自己顕示欲が理由で、とても馬鹿げていることのように思う。
一緒に共有した時間に情はなくて、意味がないことわかってる。
それは一緒にアフタヌーンティーに行こうにも私が予約を入れなければならなかったからとか、待ち合わせにいつも15分遅れてくることだったからとか、旅行のときに観光地を下調べしてくれなかったからとか、いろいろ理由をつけることはできるけど、何かの「私は女の子をやりたい」という欲求から彼女たちとのLINEを止めることはできない。

最近、後者の「共感し合いながらこの世を一緒にサバイブしていこうぜという友達」のことも全然好きではないことに気づいてしまった。これは「一緒に頑張ろう」ではなく、一緒に底辺を彷徨っている人を見て落ち着くだけなんだって思った。
心のどこかで痛い目に遭えばいいとすら思う。
そして逆も然りだろう。「私が昇進した」とか「転職してうまく行っている」とかよりも「彼氏が最近浮気してそうで」とか「新しい会社の飲み会が怖くて」とかの方が嬉しそうな顔をされる。

人って生き物は、幸せと言い過ぎたら「マウント」って言われるし、「私不幸なの」って言いすぎると「愚痴っぽくて暗い」って言われるし、なかなか難儀だなあ。

すなわち、ここ最近の私は女の子が大っ嫌いなのだ。
そういう人、多くなってきて、でもその人たちを全員切ると友達がいなくなっちゃうから時々連絡する。意味は感じない。友達サイコー!という人になんでか教えてほしい。




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