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第10回 女三の宮の悲劇

花山天皇が退位した時、香子は十七歳になっていました。当時は十五歳前後、早ければ十二歳で結婚するので充分大人でしたが、香子と病身の姉にはそんな話はなかった様です。

為時には二人兄がいたのですが、その頃、陸奥に行っていた次兄為長が亡くなり、堤邸は為時の失職と重ねて暗く沈みます。

それとは対照的に天下を取った兼家の傍若無人はひどいものでした。五十八歳と、兄兼通に邪魔されてやっと摂政になれたせいか、今度は皇女に手を出しました。

父師輔(もろすけ)が次々と醍醐天皇の皇女を三人も妻に迎えたのを知っていたので、正室がいないのを幸い、(蜻蛉日記の作者は存命でしたが)内親王を妻にしようとしたのでした。

不幸な白羽の矢を立てられたのが、村上天皇の第三皇女保子(やすこ)内親王でした。三番目ですから女三の宮と呼ばれていたようです。三十八歳独身。天下の摂政から目をつけられてはどうしようもありません。嫌々ですよね?気楽に独身生活をしていたのに無理やり五十八の老人の妻にされたのですから。結局、一年後、保子内親王は病となり三十九歳の生涯を終えます。女三の宮の悲劇ー人々は噂し、これは香子の脳裏に焼き付いたでしょう。後年『源氏物語』若菜の帖で女三の宮が登場します。人々は保子内親王の悲運を思い出した事でしょう。香子は当時の有名な人をモデルに使いました。けれどその辺は頭がいいので、使っていい人と悪い人を区別していたようでした。

兼家の態度に腹を立てていた人は多かったと思います。事件も起こっています。何と孫の一条天皇の即位式の前に、天皇が座る椅子に生首が置いてあったというのです。生首って誰の首を取ってきたん?て感じですが。

慌てる家来たちを尻目に、兼家は動じず眠っている振りをしていたそうです。その間に片付けろという事です。察した家来たちは急いで片付け、「準備が整いました」と言われると、「そうか」と今起きた様に振る舞い、即位式はつつがなく済みました。この前の今の天皇の即位式でそんな事があったら大変ですよね。(続く)

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