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第76回 弟・惟規(のぶのり)の死

寛弘8(1011)年7月、香子の父・為時は2月にすでに越後守に任じられていましたがいよいよ京を出立する事になりました。
香子も宿下がりをして堤邸から、13歳になった娘・賢子、40歳になった弟・惟規と共に父を見送りました。為時は65歳(諸説あり)になっていましたが、矍鑠(かくしゃく)としていました。
「賢子も亡き父上によく似てきたなあ」
香子も、賢子は大柄で明るかった亡き宣孝に似ていると思いました。

為時が出立して数日たって惟規がやって来ました。
「姉上、やはり年老いた父上が心配だから私も越後へ参ります」
香子は驚いて答えます。
「何もそなたが行かなくても父上は大丈夫ですよ。あちらの奥方や娘御も行かれる様だし」
「いいえ、もう休職願いを出してきました」
香子は、惟規が宮仕えに苦しんでいるのだろうと察しました。
「本当に気をつけて」
「大丈夫ですよ。姉上より若いのですし」
そう言って惟規も父の後を追いましたが、香子には何か不吉な予感がしていました。

予感は命中してしまいました。惟規は越後へ向かう途中病となり、息も絶え絶えに越後に着いて父に看取られながら亡くなったというのです。
「正室殿との間に子を二人遺して・・・」
そして、愛人である和泉式部の姪にも手紙が届いていました。
「都にもわびしき人のあまたあれば なほこの度(たび)は生かむとぞ思ふ」
最後の「ふ」の字を書き終える間に息絶えたという話を使いから聞いて香子はかつて、和泉式部の血縁というだけで反対した事を後悔しました。
「そんなに好きだったのなら、反対しなければ良かった・・・」
そして急激に涙がこぼれてきました。たった一人の同母弟。仲違いした事もあったけれどやはり頼りにしていた。
「あの子は苦しかったのかしら」
才女の弟として子供の頃から比べられていた事も思い出しました。

毎日嘆く香子に、娘の賢子が来て優しく言いました。
「母上、新しい物語を書いてはどうですか?」

※昔、『徹子の部屋』で伊東ゆかりさんが出ていて、弟さんが1人いたのだが35歳で子供1人を遺して突然、事故死したという話をしていました。
「歌手の姉がいてどう思っていたか・・・あまり話をできない内に呆気なく亡くなってしまったんです・・・」
私は何となく紫式部と弟・惟規の事が二重写しに見えました。


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