第86回 二条天皇の暴走
永暦(えいりゃく)と改元された1160年1月。平治の乱も鎮まって18歳の二条天皇は意気揚々としていました。というか、少し自分に酔っていました。
「天子に父母なし」
もともと、母を誕生後に亡くした自分をすぐ養子に出し、めったに会おうともしなかった後白河上皇に、父親の情は感じていませんでした。それどころか、「最初は、朕の方が帝になる予定という話ではないか。父上が生きているから仕方なく帝位に即(つ)かれたが、父上は朕のお蔭で帝になれたのじゃ」と、今様好きだけが取り柄の様な父を馬鹿にしていました。
そして二条天皇は、数年来の思いを実行に移しました。
美貌の皇后と持てはやされた、亡き近衛帝の皇后・多子(まさるこ)への際入内を求めたのです。
「まさか、そんな・・・」
ひっそりと近衛河原の御所で過ごしていた多子は仰天しました。
多子は23歳。あの璋子を大叔母に持つ美貌は全く衰えていませんでした。
二条天皇は、「天下随一の美女」という多子を自分のものにしたく、またできると思われていました。(続く)