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第116回 末法の世始まる~宇治の別業を平等院に。

釈迦の死から500年ごとに正法・像法(ぞうぼう)と来て、千年後(諸説あり)の永承2(1052)年から末法に入り、世も人も最悪となると信じられていました。
確かに治安は乱れ、強盗が横行し、僧兵の強訴などもあって仏教界も堕落し、人々はやはり現実であったかと増々深く末法思想を信じるのでした。

関白頼通も明らかに摂関家の衰退を感じており、ここに宇治の別業(別荘)を寺に改める事にします。
定朝(じょうちょう)以下の優れた仏師を総動員して、翌天喜元(正月11日に改元)年3月4日、絢爛豪華な平等院鳳凰堂が落成します。
まさに「極楽浄土」を実現したものでした。黄金の阿弥陀仏も庶民も遠くから見られる様にしました。
もちろん豪華な宴が催された事でしょうし、翌4月21日には嗣子・師実の12歳での元服式を行い、頼通としては満足した事でしょう。

ちなみに私は2度鳳凰堂を訪れましたが、2014年の改修後とそれ以前では全く様相が違いました。学生の時に行った時は、随分奥まで入る事ができ、誰もいないので廂(ひさし)で寝っ転がったりして、頼通も寝たりしたのかなあと思ったりしました。ところが改修後は確かに阿弥陀様の剥げていた金箔が綺麗にはなっていたのですが、その分、立ち入り禁止が増えて警備が厳重になってしまいました(残念!)。

そして斜陽はまた突然にやってきます。
6月11日、頼通の母で鷹司方の象徴でもあった倫子が90歳で亡くなります。道長の正室として、また彰子・妍子・威子・嬉子の母として、「一家三后」の栄華、三人の天皇の祖母としての栄誉を成した倫子の死でした。周囲は、壮麗な鳳凰堂の落成を見る事ができて良かったと慰めたでしょうか?

哀しみの中、6月19日(20日とも)、今度は東宮妃茂子がついに皇子を産みます。貞仁親王ー後の白河天皇です。
いまだ皇子がいない後冷泉天皇(誕生の日に死亡あり)に対して、東宮尊仁親王に皇子が生まれたという事は、62歳の老関白・頼通にまた大きな脅威となったのでした。(続く)

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