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第95回 彰子に再出仕そして「宇治十帖」執筆?

我が子と同じように思ってきた敦康親王の死で傷心の彰子は、仕えていた越後の弁賢子に頼んで母親の香子を呼び寄せました。
「式部か、懐かしうある」「大宮様(太皇太后という呼称が長いのでこう呼んでいた様です)」
5年半ぶりで二人は再会しました。彰子32歳、香子50歳(推定)。二人の身分は天と地との開きでしたが、友情の様な信頼と絆がありました。
十代の彰子にしっかりした学問を教えてくれたのは香子だったのですから。
もちろん病気と称して宮中を去ったのでしょうが、彰子には恐らく道長の圧力だと後で分かったと思います。しかし今回は、道長は彰子の支えになってくれると思ったでしょう。

翌年正月5日。久々に香子の再従兄である大納言実資が彰子の御所を訪ねてきました。彰子は言います。
「まあ、そなたがやめてから1回しか来なかったのよ。皮肉を言っておあげなさい」
香子は心得たもので、冗談めかして言います。実資は恐縮するのでした。
しかし実資にも言い分がありました。香子の後の応対役は、高松方の若い頼宗になりました。しかし21歳の頼宗では要領を得ず、実資は満足しません。それで遠ざかっていたという訳です。

しばらくいるという事で、香子は要請もあり、『源氏物語』の光源氏死後の事を書く事にしました。(いろいろな説あり)
香子は「雲隠」の続きで、薫と匂宮が成長した「匂宮」を書きました。そして亡き柏木の弟の紅梅大納言が夫を亡くした真木柱と結婚した話の「紅梅」を書きました。真木柱とは髭黒の大将と、紫の上の異母姉との間にできた長女で、光源氏の弟・螢兵部卿の宮と結婚したもののうまくいかず、宮の死後、娘(宮の御方)を連れて紅梅大納言と再婚したのでした。紅梅の方も夫人に先立たれ、二人の娘がいて再婚同士でした。真木柱は実家の狂気の母の面倒も見たり、紅梅大納言の子供たちの世話もよくして、紅梅との間にも男児が生まれ、不幸を乗り越えて幸せに暮らす賢い女性として描かれました。

しかし香子は何か物足りませんでした。
「父上、姉上、惟規・・助けて下さい」
三井寺で出家している父為時に聞きに行こうかとも思いました。
しかし香子にはまて天啓の様に、物語の神様が降りて来ました。
自分の事を書いてみようと思ったのです。宇治でひっそりと暮らす姉と妹。妹はもちろん香子自身です。そして世渡りの下手な父親。

そして1年半前に亡くなった高僧・源信もまだ話題に新しかったのですが、
「どこかで横川の僧都様を入れよう」
香子はまた構想を練るのでした。(続く)

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