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第19回 花山帝の退位と父の失職

香子(紫式部)が15歳の8月から17歳の6月までの約2年間、父為時は花山天皇の蔵人を勤めました。為時がそう娘に宮中の秘話をべらべらと喋ったとは思いませんが、好奇心の強い香子の事。為時に仕える家人などに宮中の様子を自分から聞いた事でしょう。
『源氏物語』の桐壺の更衣への壮絶ないじめ。廊下に「汚いもの」を撒き散らしたとか、あちらとこちらで示し合わせて戸を閉め、立ち往生するのを笑い者にしたとか・・・実際にあった事かも知れません。

即位1年後の7月に花山天皇は最愛の女御を身重のまま亡くしました。悲嘆にくれ、これも聞いた香子は桐壺帝と更衣の悲恋に思いを寄せた事でしょう。
この女御の死を利用しようとした者がいます。右大臣藤原兼家です。花山天皇を退位に追いやれば、可愛い外孫の東宮(後の一条天皇)が即位し、自らは念願の摂政になれるからです。すでに三男の道兼を同じく蔵人のしかも頭に送り込んでいて、花山天皇に出家を勧めていました。それは秘かにしかしだんだんと激しくなり、道兼に「私もお供して出家しますから主上もしましょう」とそそのかしていました。

為時は呑気に、道兼の邸に御馳走になりに行ったりして、「良い方だ」と油断させられています。
そして即位まだ2年にならぬ6月23日夜、ついに道兼は花山天皇を内裏の外に連れ出します。そして山科の寺にて天皇出家に成功するのです。お付きには源氏が護衛し、道兼は「ちょっと父にこの出家していない姿を見せて来ます」とうまく脱出しました。天皇が「帰って来ないのではないか」と言うとお付きの武士たちが顔色を変えて刀に手をかけたのでどうしようもありません。三種の神器もすでに東宮方に移っています。このあたりは『大鏡』に詳しいです。藤原氏に批判的な人が書いたのでしょうか?

24日朝、天皇の姿が見えないので大騒ぎになりますが、やがて寺で出家した事が分かり、花山天皇の外叔父・義懐ももはやこれまでと寺に行って出家します。
兼家は58歳で念願の摂政となり、7歳の一条天皇が即位しました。為時は蔵人を罷免されます。道兼は何とそのまままた蔵人頭を務めるのでした。(続く)

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