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第77回 義朝の最期

平治2(1160)年となった正月元日。義朝一行は昼近くまで寝ていましたが、起きると義朝はすぐい東国へ行くと言いました。すると長田忠致(おさだただむね)は自分が匿(かくま)った事がばれてしまうので、
「まあ正月でございます。せめて三が日だけはおって下され」
と頼みました。義朝もそれに甘え、元日の馳走を義朝は複雑な思いで食しました。
1月4日になって、義朝一行は起きて旅支度を整えようとしました。
朝餉を振る舞った後、忠致は、
「義朝様には、お湯でもお使い下さいませ。また当分使えぬ日が続きましょうから」
「おおそうか。有難い」忠致の巧みな言葉に義朝は疑いもせず、湯殿に入りました。
しかしそこへ鎌田正家(もと正清)が息せき切って注進に来ました。
「殿、裏切りにございます。忠致は湯殿で殿を殺させようとしております」
義朝の顔は一瞬凍りつきましたが、すぐに冷静に言いました。
「さもありなん。世の中とはこのようなものよ。わしが自害する。介錯(かいしゃく)を致せ」
「殿・・・」
正家は泣いていました。3年前、義朝の父為義の死に立ち会い、今また義朝です。「殿、御免!」正家は義朝の首を落としました。そしてすぐに正家も自害し、後の家来たちも後を追いました。

急を聞いて駆け付けた忠致は最初驚きましたが、すぐに嬉々として命令しました。
「すぐに京へ出立じゃ!首を包め!」(続く)

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