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第18回 父為時が花山帝の蔵人に。

13歳までに、源高明や『伊勢物語』を知った香子(紫式部)はの父為時は、永観2(984)年8月、円融天皇(26歳)譲位、そして花山天皇(17歳)の即位に伴って、式部丞蔵人に抜擢されます。花山天皇の10歳の時から東宮学士(教育係)をしていた実績からでした。
香子は15歳。父為時は38歳(?)。初めて手にした栄冠に、今まで暗かった一家は喜びます。賢明な再従兄・実資(28歳)も蔵人であり、頼りになる存在でした。長である蔵人頭には花山天皇の外叔父である義懐(28歳)がなっていました。
10月には香子の再従兄・宣孝(32歳)も蔵人となって、同僚為時の邸の宴に招かれ泊ります。その翌朝、宣孝が姉妹の部屋を少し覗いたりしました。将来の夫となる人との初めての出会いだったのでしょうか?

花山天皇は奇行で有名だった冷泉天皇の第一皇子です。その遺伝子があったのか、特に女性に対しては偏執的な所がありました。これは疑わしいですが、即位式で女官に手を付けたというのが悪意のある伝承として残っています。
何人もの姫君が入内しましたが、ある姫に熱を上げたかと思うと急に冷淡になるなど、周囲ははらはらしました。しかし弘徽殿の女御・怟子(よしこ:18歳)に関してだけはいつまでも寵愛が続いていました。

花山天皇の将来は危ういものがありました。外祖父の伊尹はすでに亡く、その男子も若死にが多く(義孝の21歳など、百人一首「君がため惜しからざりし命さへ)前述した若い義懐だけが後見でした。
そして東宮には策士・兼家の外孫懐仁親王(5歳)がなっていました。元々、我が外孫を東宮にするためにその父である円融天皇に圧力をかけて譲位させたほどの男でした。56歳の兼家は2回摂関になる機会を逃しており、何とか早く花山天皇の代を打ち切ろうと画策していました。

そんな時、花山天皇の寵愛する怟子は懐妊したものの、体調が思わしくなく、天皇は心配していました。
香子も為時などからちらほらとその状況は聞き、『源氏物語』の桐壺帝と桐壷の更衣の悲恋に反映させたのかも知れません。
兼家は蔵人の内、英明な実資を昇格させて外し、自分の三男・道兼を配しました。内部の情報が分かるし、花山天皇に揺さぶりをかけて譲位に持っていく作戦でした。(続く)

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