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第84回 承香殿の女御元子の頼み(2)

ロマンコミックスシリーズの中に『藤原定子』という本があって、もちろん中宮定子の悲哀が中心なのですが、その中に元子が出てきます。何と一条天皇在世中に別の男と愛し合っている場面が描かれているのです。
元子の名誉のために言いますが、源頼定と恋仲になったのは天皇崩御の後、一周忌を経ての事だと思います。この点、宜しくお願いします!

さて、頼定との恋を元子は父顕光から許して貰えませんでした。女の命である髪を切られても、尚諦めませんでした。
そこで顕光は「どこへでも行け!その代わり堀河院の家券は貰うぞ」と言い放ちました。
堀河院は、元子が女御として上がる時に相続しました。更に何年か経って堀河院が焼亡した後、一条天皇の援助で再建しました。だから元子は自分のものという意識があったようです。

仕方なく、元子は乳母の息子が管理をしている車宿(くるまやどり)で頼定と生活を始めました。しかし元子は無一文です。
冬のある夜、彰子の住まう御所を元子が訪ねてきました。香子が取り次ぎをしたかも知れません。
元子は切々と訴えます。「皇太后様、堀河院は私が相続したもの。父に奪われたものを取り返させて下さいませ」
香子は、かつて美しかった、しかし疱瘡の後が遺る元子の顔を見たでしょう。
本来ならば同じ天皇の愛を争った妃同士ですが、彰子はむしろ懐かしい友の様に接しました。
「右府(顕光が右大臣だったので)には私が申しておきましょう。安心して下され」
彰子は24歳。小柄だけれどもう「天下の御意見番」の様な風格が備わっていると香子は思いました。

元子は感謝して帰り、堀河院は名実元子のものとなりました。次女が病死して孤独になった顕光と少し雪どけがきます。
その後、元子は二人の女児を産みました。かつて出産に失敗しただけに心配したでしょうが。
その8年後、頼定は疱瘡に罹患し、44歳で亡くなります。その時に葬儀を堀河院でやろうとした元子に顕光が猛反対したので、元子はかつての愛の巣であった車宿で葬儀・法要を行います。

やがて父も亡くなりました。広すぎる堀河院を元子は自分たちも一画に住むという条件で約一万石で売却したものと思われます。それは回りまわって高松方の頼宗のものとなり、「堀河の右大臣」と呼ばれています。

元子の長女は、頼通の養女が後朱雀天皇の后となる時に女房として出仕しました。
元子がいつ頃亡くなったのかは分かりません。長命だったという説もあります。けれど一条天皇の女御だった元子は、8年間の頼定との生活が宝物だったのではないでしょうか。それは同時に頼定の正室を苦しめる事にもなりましたが。また皇太后彰子に対しての感謝もあったと思われます。

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