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第56回 皇子誕生

寛弘5(1008)年9月11日正午頃、半日の陣痛を経て、中宮彰子はついに皇子を産んだと言われます。
「どちらだろうか?」と固唾を飲む人たちは狂喜しました。特に道長は。
長年の宿願が叶ったのです。
香子は、道長と彰子の運の強さを感じました。

可愛い孫を抱いて小水を漏らされても、それにも喜ぶ道長です。
しかし蒼ざめた人もいました。第一皇子敦康親王の外伯父伊周です。もし彰子にずっと皇子が生まれなければ、敦康親王の即位にも目があったのですが。
敦康親王はこの時10歳。何かを感じていたでしょうか。

一条天皇ももちろん子供の誕生ですから嬉しかったでしょうが、敦康親王をどう守っていこうかと悩んだ事でしょう。実はこの約3カ月前、亡き皇后定子が最期に産んだ媄子内親王が6歳で亡くなっていました。

香子は、道長から「内裏還啓の時に『源氏の物語』を携えて行く」と依頼されていました。凱旋に相応しいものをという事です。
2か月後という事で仕上げなければなりません。大団円という形で。

10月16日、一条天皇が土御門殿に皇子と対面に行幸がありました。
華やかな宴が催されます。
天皇がわざわざ家臣の邸に行幸するのも異例です。敦康親王の時にはなく、半年以上経って、定子がこっそりと連れて参上したのと偉い違いです。

そして11月1日、皇子誕生五十日の祝いの宴が開かれる事になります。
そして「紫式部」の名前も決まるのでした。

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