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第5回 前関白師実の死

全子から夫師通を奪った形となった信子は太政大臣信長の養女となっていますが、実は中の関白家・隆家の孫娘でした。全子も伊周の孫娘なので、同じ中の関白家の末裔同士が寵を争ったのは皮肉な事です。

さて、師通の死の2年後、隠居していたその父・前関白師実も2月に亡くなります。60歳でした。
温厚で好色であった事は前述しましたが、師実は自分の事を幸運だと思っていた事でしょう。
何故なら師実の母・祇子は頼通の隠れた愛人で、表向きには橘俊遠を隠れ蓑の夫としていました。それだけ正室の隆姫に遠慮していた?

祇子は多産で師実の上に4人もの男子と1人の姫を産んでいました。4人の男子は全て他家へ養子となったり、仏門に入れさせられたりしました。
しかしここで一大事が起こります。後嗣とされていた通房(みちふさ)が20歳の若さで後継ぎも遺さず亡くなってしまったのです。
師実はその2年前に生まれた数えの3歳。やがて他家へ養子にしようとしていた所でした。頼通は師実の存在を公表し、後嗣とします。師実の6歳上の姉・寛子はもともと後冷泉天皇の后にしようとしていた様ですが。

あまりのシンデレラ・ストーリーに師実の兄たちは口惜しがったと言います。タイミングの差でした。
師実は臨終の際、摂関家当主である若い孫・忠実の事を案じながらも、自分の夫人・麗子(道長の孫娘)がしっかりしていたので安心しながら亡くなった事でしょう。(続く)

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