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第27回 璋子の苦悩

長承3(1134)年、璋子は34歳になりましたが美貌は衰えていませんでした。しかしその年の春に鳥羽上皇(32歳)に入内した得子(18歳)への上皇の寵愛は深く、璋子を悩ませていました。

6月16日に璋子が産んだ絢子(あやこ)内親王も病気になっていたので統子(むねこ)と改名します。(後の上西門院)
その頃、璋子は「御悩」と記録されており、激しい苦悩に襲われていたあと思われます。お子の崇徳天皇(16歳)を憂慮し、得子の一族に圧力をかけましたが、逆に鳥羽上皇はこの措置を激怒。今まで仲良くもなかったものの仲が悪いという訳でもなかった崇徳天皇との関係は一挙に悪くなっていきます。
「叔父子めが」憤然とと鳥羽上皇は周囲に不満を漏らします。実は白河法皇の胤という事は誰もが知っている「公然の秘密」でした。

璋子の病が癒えた10月20日から11月11日まで、鳥羽上皇は璋子とまた熊野詣でに出かけます。その年は正月にも行っており二度目の参詣でした。
閏12月16日、鳥羽上皇のお召しにより、璋子は夜、御所白河殿に渡御します。しかしそれが鳥羽上皇と璋子の最後の交渉になりました。(続く)

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