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第69回 今内裏(いまだいり)・六波羅邸

平治2(1159)年12月25日深夜から美福門院、上西門院(母は待賢門院璋子。後白河上皇の姉)などの女院、女房も来て、六波羅邸は今内裏としてごった返し、賑わいました。更に前関白忠通・二条天皇の外叔父経宗などの重臣も多くやって来ました。清盛の正室として時子はじめ平家の女人たちは食事作りに奔走しました。
清盛は感動に打ち震えていました。「父上、お祖父様の正盛様が開かれたというこの六波羅の邸が今内裏となりました。お喜び下さい」

しかし後白河上皇は、二条天皇にばかり待遇が良いのに拗ねて、「仁和寺へ参る」と言って出て行ってしまいました。この父子の不仲は有名でした。
仁和寺にいる同母弟の覚性法親王は、長兄崇徳上皇が助けを求めにきたのを見殺しにしたのとは打って変わって歓待しました。

26日の早朝、天皇、上皇とも出奔という全てを知った信頼は腰を抜かしてしまいました。「惟方の叔父上までが裏切ったのか」

六波羅邸では、若い二条天皇が清盛に言いました。
「新造の内裏を焼くでないぞ」「御意」清盛は平伏しました。

「父上、難しい戦ですね」22歳の長男重盛が清盛を見ました。
「何、なんとかなるわい」清盛は不敵な笑みを見せて言いました。
「重盛、そなた源氏を内裏からおびき出してほしい」
「はいっ」重盛の眼は光りました。(続く)

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