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第164回 還都と驚くべき提案

治承4(1180)年10月、思わぬ源氏や寺社の反攻に、福原京では、三男宗盛が清盛に請願しました。
「父上、京に都を戻して下さい。人心を安定させるためにも」
「六月に遷都したばかりではないか」
清盛は否定しましたが、しかし清盛の心を反転させたのは、高倉上皇の病でした。
「京に戻って朕は死にたい」
そう言われるのが清盛には堪えました。
清盛は渋々息子の言う事を聞きました。亡き長男重盛が言っているのだとも思って。
「とにかくせっかく造った内裏に主上の遷幸をされてから」
清盛はばつわるく言いました。
数え三歳の安徳帝は新造の内裏に11月11日に行幸されました。13日に万機(ばんき)の旬、15日に五節と型どおりの儀式を終えて、11月23日、福原から平安京へ還都しました。五か月余りの短い都でした。

高倉上皇は京に戻って完全に病床に臥されました。
そんな時、後白河法皇から驚くべき提案がなされました。
「徳子は亡き滋子に叔母姪でやはりよく似ておる。もし帝万歳の時は・・・二代の后の例もある。何とかならぬかのう」
にんまりと笑う法皇に、清盛は仰天しました。(続く)


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