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第103回 池の禅尼の死

仁和寺で兵衛佐が秘かに対面した覚恵(崇徳上皇の皇子)は14歳になっていました。上皇が讃岐に流された8年前と比べて、凛々しくやはりどことなく上皇の面差しを伝えていました。
「皇子様、ご立派になられて・・・」兵衛佐は崇徳上皇と過ごした20数年を思い出して涙しました。そしてあの血染めの写経を渡しました。
「これは・・・」さすがに覚恵も同座していた覚性法親王、西行も驚愕しまた涙にくれたのでした。

その頃、兵衛佐が都に来ていると聞いて、煩悶する女性がいました。清盛の継母・池の禅尼です。崇徳上皇の第一皇子重仁親王の乳母を託されながら、保元の乱では清盛に上皇側ではなく後白河天皇側に付く事を示唆しました。それで今の平氏の栄えがあるのです。
禅尼は病に臥しました。清盛が見舞いに来ました。
「しかし、あの時はどうしようもない事でございました。我らが上皇様に味方したとて勝てたかどうか・・・」
清盛は同じく白河法皇を父とする崇徳上皇を偲びました・

まもなく池の禅尼は亡くなりました。二十年後に来る平家の没落を見なかったのは幸せであったかも知れません。(続く)

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