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第103回 朱雀天皇の巧妙な退位

天慶7(944)年4月、大納言師輔(37歳)は各方面に運動して、自分の娘を妃にしている成明(なりあきら)親王(19歳)を東宮にする事に成功しました。兄である朱雀天皇(22歳)は病弱であり、妃を二人迎えていましたが、皇子の誕生は難しいのではないかと思われていました。(後に皇女が一人だけ誕生しました)
二人の妃とは、一人は亡き東宮保明親王と時平の娘仁善子(にぜこ:六条御息所のモデル)との間に生まれた熙(ひろ)子女王。これは皇太后穏子の希望でもありました。保明親王は穏子が最初に産んだ皇子ですし、仁善子は大恩ある兄時平の娘です。二人の血を引く煕子女王が皇子を産めば保明親王と時平の血が繋がります。もう一人は師輔の最大のライバルで先んじて右大臣になった異母兄実頼(45歳)の娘慶子でした。師輔としては、早く朱雀天皇の代を打ち切って女婿の成明親王に即位して貰わねばなりません。

その2年後の天慶9(946)年正月2日、いつもの様に朱雀天皇は正装して、母后穏子の御所に新年の挨拶に出かけます。穏子は喜んで言いました。
「まあ本当にご立派になって。成明もいつになったらこんな姿を見る事ができるでしょうね」
朱雀天皇は内裏へ帰ってから、母の言葉を思い起こしていました。病弱なせいか、朱雀天皇は神経質に考えすぎる所がありました。そこへ師輔が何か機会はないかといつも参内してきます。そして天皇の浮かぬ顔を見て尋ねました。穏子とのやり取りを聞いた師輔は、
「それは成明親王様の即位を早く見たいと言われたのではないですか。お后様ももう62歳を迎えられましたし」
「まことか」
「ええ。でももう一度お確かめになってはなりませぬよ。お気を遣われますゆえ。それに他の群臣にも漏らしませぬよう。混乱の元ですから」

こうして3か月後の4月20日、突如として朱雀天皇の退位の儀が行われました。
聞いた穏子は仰天します。「私はそんな積りで言ったのではないのに」
右大臣の実頼は上皇になられた朱雀院に言います。「師輔に謀(はか)られましたな」実頼と師輔の父である太政大臣忠平は静観しています。

朱雀上皇は後悔で譲位を取りやめようとしました。しかし師輔は言います。
「すでに三種の神器は東宮様に移してございます」
師輔の表面は磊落で、実は腹黒な面目躍如の場面です。
そして4月28日、成明親王は即位して村上天皇となりました。

※今回は『大鏡』より抜粋しました。(続く)

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