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第83回 頼朝、助命の方向へ。

上西門院は、かつて蔵人として仕えていた頼朝の助命に動いていました。
「あの母親も我が女房として仕えていた。何とかしたいもの」
女院の同母弟、後白河上皇もよく一つ上の美しい姉の所を訪れ、力になりたいと思いました。上西門院は生母の待賢門院璋子に生き写しでした。

清盛への直接の嘆願は、上西門院から頼まれた継母の池の禅尼が請け負いました。亡き家盛に頼朝が面差しが似ているというのが口実でした。
禅尼は食を断ってまで懇願し、ついに清盛を説き伏せました。
「殿、禍根を残してはなりませぬ」腹心の家貞、盛国は諌言しましたが、頼朝助命に事態は動いていました。
その頃、頼朝助命の噂を聞きつけて、亡き義朝の最後の妻、常盤御前が3人の幼な子を連れて、六波羅に出頭してきました。(続く)

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