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第28回 越前への旅立ち

香子たちが父為時の赴任先越前へ出立の準備をしている長徳2(996)年4月、ついに花山法皇を襲撃した咎で、伊周は大宰権帥(ごんのそち)、隆家は出雲権守に左遷が決まりました。為時は嘆息して言いました。
「何でも次から次へ訴えが出てきたそうな。法琳寺から臣下がしてはならぬ大元の法をしていたり、東三条院(詮子)様を呪ったりとか・・・」
「落ちぶれるとこれでもかと密告が続くのですね」
香子は世の無情を思いました。しかし伊周は播磨の明石、隆家は但馬にと近くに留め置かれました。
香子はかつて源高明が左遷され、須磨・明石を通った事は少女の頃、聞いていましたが、実際に流されるのを見聞きしたのは初めてでした。

9月になってようやく為時一家の出立の日が来ました。しかしまた直前に悲しい知らせが来ました。為時と越前守を交替させられた源国盛が消沈していたのは聞いていましたが、同じく大国の播磨守に任じられたのも空しく亡くなってしまったというのです。
「さぞかし源典侍(げんのないしのすけ)は怒っているだろう」
為時は思いました。為時の詩を一条天皇に持って行ってくれたのは国盛の姉・源典侍だったからです。後年、宮中で香子は源典侍と対峙します。

寂しがる祖母を涙の別れをして、香子は結局父について越前に行く事にしました。そうしなければ再従兄の宣孝と結婚させられてしまうからでした。
逢坂の関までは伯父為頼と弟惟規が見送ってくれました。
そこで香子は初めて、父の後妻を見ました。男の子と女の子を連れています。
「これが異母妹の三の君なのか」
姿形は亡くなった姉とよく似ていましたが、中身はもちろん違いました。
この異母妹が「浮舟」のモデルになるのでした。(続く)

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