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第102回 兵衛佐(2)

兵衛佐は讃岐から船に乗る前に、ひっそりと養われている綾顕末(あやのあきすえ)に会いに行きました。兵衛佐は年を取って来たので、地元の綾高遠に依頼し、娘を崇徳上皇に遣わせたのです。姫も生まれましたがすぐに亡くなり顕末は8歳になっていました。
「顕末殿、そなたは讃岐の院様の血を分けたお子。その誇りを胸に生きていくのですぞ」
幼い顕末はこくりと頷きました。
「高遠様、お世話になりました。綾の局様にもお世話になりました」
綾高遠は平伏し、また綾の局も顕末も兵衛佐を見送りました。

讃岐には顕末の子孫がいると言われています。また筑後の有名氏族西見氏は崇徳上皇の末裔とも自称しています。

兵衛佐は入京して、崇徳上皇の心の友であった西行に密かに連絡を取り、崇徳上皇のもう一人の皇子(村上源氏が母)が、今は覚恵(かくけい)という僧であり、仁和寺にいる叔父の覚性(かくしょう)法親王(崇徳上皇の同母弟)に養われていました。
覚性法親王は保元の乱や、それ以後も兄に冷たい態度を取っていた事を後悔していました。もう一人の兄、後白河上皇は依然として冷たく、崇徳上皇の崩御に朝廷からは何もしませんでした。(続く)

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