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第63回 頼朝の思い

保元4(1159)年2月、源義朝の嫡男頼朝は13歳で上西門院(後白河上皇の姉)の蔵人となりました。頼朝の母、由良(ゆら)御前もかつて上西門院の女房をしていて、義朝と結婚しました。
母親似の頼朝の美少年ぶりは評判となっていました。上西門院の宴で、後白河上皇や平清盛は、そこで甲斐甲斐しく働く、色白で頭が大きい少年の頼朝を見かけた事でしょう。

しかし少年の頼朝には悩みがありました。母・由良御前が病に臥していたのです。母はここ何年か、夫の義朝が常盤(ときわ)という若く新しい妻のところにばかり居る事を苦にしていました。頼朝にもそれは分かっていました。
常盤というのは九条院呈子(もと近衛天皇の中宮)の雑仕女(ぞうしめ)だったけれど、15歳の時、千人の応募の中から3人、しかも一番美しくて選ばれたという話がありました。そこに義朝が見初め、呈子の許しも得て妻となり、すでに二人もの男児を産んでいました。

3月1日、頼朝の母はついに亡くなりました。喪に服する頼朝は誓いました。
「おのれ、常盤め。会えば許さぬぞ。母上を死に追いやるほど苦しめて」
後年、頼朝に徹底服従だった常盤の長子・全成は別にして、平氏追討に大活躍し、己の地位を奪いかねない存在となった末弟・義経に対して冷酷な態度を取ったのはこれが関係してでしょうか? (続く)

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