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第53回 道長の焦燥そして喜び

3月に伊勢大輔の華やかな八重桜受け取りの宴が終わって、閏5月から道長は金峰山(きんぷさん)に登るために長い精進の生活に入りました。
金峰山はかつて香子の夫宣孝(結婚前)が質素なみなりでいく所を派手な格好で行って、更にその後昇進したので「どうじゃ?」と言ったという逸話があります。清少納言がそれを『枕草子』で「変わった人」という描写で書き、恐らく香子は激怒したと思います。

道長は焦っていました、娘彰子は20歳。12歳で入内してから8年が経とうとしているのに懐妊の兆しがありません。
道長は8月2日の石清水八幡宮参詣まで約3か月、38か所を巡詣してひたすら娘の懐妊を神仏に祈りました。

父の焦りを感じていたのか、夏に彰子の方から香子に何か漢文を教えて欲しいという依頼がありました。
「主上が学問好きなので、私も近づきたいのです」
彰子の目は真剣でした。亡き皇后定子が才学豊かで、天皇も愛しておられたという事で、自身も勉強したいと思っていたのです。
「分かりました。それでは『白氏文集(はくしもんじゅうー唐の白居易~はっきょい~の詩文集)』と『楽府(がふー漢詩)』を進講いたしましょう」そう言って、香子は彰子に学問を教えだしました。元々、家庭教師の様な感じでと言われていましたし。これで彰子は香子を更に尊敬し、傾倒していくのでした。

その年10月、冷泉上皇の三の宮だった敦道親王が27歳で亡くなりました。恋人はもちろん和泉式部です。二人は葵祭りに牛車に同乗したりして京雀の噂となっていました。更に敦道親王は自分の邸に和泉式部を入れ、妃が怒って実家に帰ってしまったとも言います。兄の為尊親王に続いての若死にでした。
11月には東宮の第一皇子敦明(あつあきら)王が14歳で元服し、ますます道長の焦燥感を煽ります。東宮は一条天皇より4歳上なのだから仕方ないと言えばそうなのですが。

こうして翌年になりましたが、3月に何と21歳の彰子がついに懐妊した事が分かりました。発見したのは一条天皇です。何となく頬が赤いし、かつて愛する后定子は3度も懐妊しているのでその兆候が分かったのでしょうか。
道長は狂喜します。まだ皇子とも分かっていませんが何故か道長は皇子誕生を確信していました。(続く)

※10日連続、拙著『源氏物語誕生』を読んで下さって有難うございます!チェックするたび、励みになります!(道長と同じ気持ち!?)
『源氏物語誕生』は自分で言うのも何ですが後半の方が面白いので(?)騙されたと思って我慢して後半まで読んでみて下さい!(笑)

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