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第21回 兼家の最期

来年の大河ドラマ『光る君へ』の藤原兼家役は段田安則さんが演じられるので楽しみですが、もっと実態は体格が良くあくが強い方だった気がするので、為時役の岸谷五朗さんと逆の方がいいかな?とも思いますが(私見)

若い時から厚かましく要領の良い兼家でしたが、次兄と仲が悪く、相手にもしていませんでした。長兄の伊尹が亡くなった後、てっきり自分(44歳)が関白になると思ってたら、次兄の兼通は円融天皇の亡き母安子の「摂関は兄弟の順に」という書き付けを後生大事に持っていて逆転されました。
4年後、兼通が危篤の時に、見舞いにも行かずに宮中に関白を申請しに行きます。ところが邸宅が近くで、重病の兼通は参内し、従兄の頼忠に関白を譲って、兼家を治部卿に落として帰り、やがて亡くなるという凄まじいものでした。
44歳で関白になれた筈なのにすでに58歳になっていました。なりふり構わぬやり方で、まず花山天皇を騙す形で退位させ、我が外孫を天皇として、念願の摂政になったのでした。
そんな兼家への反発は強く、7月22日の一条天皇の即位式には何と椅子に生首が何者かによって置かれていたと言います。しかし兼家は動じません。居眠りをした振りをして、その間に家来が片付け、何事も無かった様に即位式を敢行したのでした。
息子たちの官位も先例を無視して滅茶苦茶に引き上げ、顰蹙を買いました。そして永祚2(990)年5月5日、摂政を辞して関白となります。そのたった3日後、関白を長男道隆に譲って、7月2日、62歳で亡くなるのでした。きっと目前でなれなかった関白になりたかったのでしょうね。(すごい執念!)ですから兼家を検索すると「摂政・関白太政大臣」となっています。

ただ、三男の道兼は花山天皇を退位させた功績から後継ぎは自分だと思っており、長男の道隆にいったのを不服として、父の葬儀にも出席せず、車の中で友と飲んだくれていた様です。(彼も後に関白就任後すぐに病死し、七日関白などと言われています)
つくづく権力に取り憑かれた一家だったのですね。(続く)

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