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第44回 業平と高子の再会

東宮の生母となり、「東宮の女御」と尊称された高子にはかなりの自由が許され、御所で歌会も開いたようです。そしてかつての恋人業平を「歌人」として呼ぶのを良房・基経も黙認していたでしょう。

それはどの年の事だったでしょうか。貞明親王が東宮に立てられた貞観11(869)年2月よりそうたってない、あるいはその年の春だったかも知れません。出奔から丸9年の歳月が経っています。業平45歳、高子28歳。

夜桜の花の宴で、業平は高子の御所に呼ばれ、そしてまた意味深な歌を詠みます。
「花に飽かぬ歎きはいつもせしかども 今日のこよいに似る時はなし」-いつまでも散らずに咲いていればいいのにという桜の花への嘆きは、毎年してきたけれども、今日の今宵に似た感慨不快ひとときはまだ経験したことがないー(第29段)
かつての恋人と再会した喜びの春の夜。周囲の客人も皆分かっているし、当の高子自身もこの歌をどう感慨深く聴いたでしょう。

またこれは秋の日でしょうか、それともただ屏風を見て詠んだものでしょうか。『百人一首』でも採りあげられた歌ー
「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」-不思議なことの多い神代でも聞いたことがない。竜田川が唐紅色に水をくくり染めにしているとは。-私と貴女の恋もかつてこの様に燃えていましたね。
これをまた高子と周囲の前で朗々と詠むのですから、業平は特異な存在だったでしょうね。
しかしこんな幸せの陰でいろいろ政局の醜い渦が巻き起ころうとしていたのです。(続く)

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