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第85回 中宮妍子の出産そして解雇通告

道長の次女妍子は長和2(1013}年20歳。三条天皇の東宮時代に妃として入内し4年目。ついに懐妊しました。
道長は「また皇子よ」と吹聴しています。長女彰子が2人もの皇子を挙げているので今度も確信しています。

5月に、香子(44歳)は皇太后彰子の取り次ぎ役として藤原実資らを応接したとの記録があります。実資は小野宮流で、道長にとって正論を言ってくる煙たい存在です。娘の彰子も一条天皇の譲位以来ぎくしゃくしていて反道長勢力の様になっています。その両者が話をしているのは気に喰いません。

7月6日、妍子は皇女を出産しました。「皇女(ひめみこ)か・・・」
道長はあからさまに落胆し、皇女の顔を見にも来なかったといいます。
これを聞いた彰子はもちろん諌言します。
「妍子が可哀想ではありませんか」
妍子は何をやっても長姉の彰子に敵いませんでした。

妍子はやがて憂さ晴らしとばかり装束を派手にします。お付きの女房たちにもそれは伝染し、中には十二単(ひとえ)ならぬ20枚の単を着て身動きが取れぬ者も出てきました。
それをまた彰子は妍子に忠告します。

全く頭が上がらぬ妍子で34歳で道長や彰子に先んじて亡くなるのですが、この生んだ禎子内親王というのが後年、後三条天皇を産み、摂関政治を終わらす事になっていくのでした。

ところで虫の収まらない道長ですが、その矛先は香子に向かいました。
7月出産の後、8月下旬から9月中旬にかけて香子は宮仕えをやめ、宮中を去っているのです。
これは道長が古女房に命じ、圧力をかけたものと推理されます。

元々は、学問好きな一条天皇の気を彰子に引かせるため、そして人気の『源氏の物語』の作者という事で香子を雇ったのでした。もうすっかり用済みどころか、彰子に要らぬ知恵を付ける余計者という判断なのでした。

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