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第71回 寛弘7(1010)年正月の事(1)

土御門邸は前年11月に中宮彰子が2番目の皇子を産んだ事で盛り上がっています。
正月2日、道長は管弦の宴席に香子の父為時を招きますが、為時は宴席が終わるとさっさと帰ってしまいます。宴が終わっても、雑談で盛り上がるのが普通だったのでしょうか?
早速道長は冗談まがいに香子に「そなたの父(てて)はひがみたる」と言います。
この「ひがみたる」はいろいろな解釈があって、一般にはひねくれているですが、まあ昔気質とか世渡りが下手というのもあります。中には、為時は市長と娘香子の秘密の関係を知っていたので恥ずかしくて早々と帰ったという説もあります。
道長は「そなたが代わって歌を詠め」と言って香子を困らせますが、もともと皇子誕生で気持ちが良く酔っている道長、その内に横で休んでいる若宮たちを見て、自分で「野辺に小松のなかりせば・・」と詠んで退出します。
若宮たちを小松に見立て、千代に繋がるという祝賀の歌です。(『紫式部日記』より)

正月15日、生まれた敦良(あつなが)親王の五十日の儀がまた盛大に行われます。不思議な事に、『紫式部日記』はこれを持って終わります。もともと「皇子誕生」を記念して作られたものですし、お役御免という所でしょうか?
それと香子が、所々好き勝手に書いていたのでそれを止めさせようという動きがあったのかも知れませんね。


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