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第129回 ロスアラモスの町

とにかく著名な科学者が集まってくるという事を聞いた若い科学者が集まって来るという展開でした、オッペンハイマーの計画は成功し、どんどんと科学者が集まってきました。22歳の若きハロルド・アグニュー(広島の原爆投下の写真を撮った人物)もロスアラモスに参加しました。
オッペンハイマーはグローブスに更なる人員増強を頼みました。グローブスも金に糸目はつけませんでした。当初、1億ドルと言っていた予算は、これではどれだけの費用になるか想像がつきませんでした。(最終的に総額20億ドル以上。現在の約3兆円)
オッペンハイマーはカリフォルニア大始め手当たり次第に勧誘しました。
若い人が多く、未知の製作に顔は輝いていました。難事業であればあるほど、頭がいいと自負する科学者たちは探求心をそそられ、本能的に楽しそうに原爆完成という困難さを味わっていました。

結局、科学者約300名にその家族や料理人も来て、ロスアラモスは約6千人の町になりました。(続く)

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