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第25回 道長の名案

長徳2(996)年正月25日。香子は27歳になっていました。当時は14,5歳で婿を取るのが通例だったのでかなり婚期を逃しつつありました。
そんな為時一家に10年ぶりに任官の沙汰がありました。10年前、花山天皇の出奔ー出家で為時は蔵人の座を失くし無官でした。
しかし為時は書状を見て、喜びから落胆の色を隠しませんでした。
「淡路守じゃった」-淡路は離れ島と並び、下国だったのです。(私の出身が淡路ですので複雑ですけど・・・まあ最近は阪神の近本・村上など淡路島出身が頑張ってくれてるので嬉しいです笑)

「父上、また次に大国がくることmありましょう」
香子も弟惟規(のぶのり)も励ましました。そこへかつて為時の同僚で親族でもある宣孝がお祝いに来ましたが、為時の暗い表情を見て、こんな提案をしました。
「それでは為時様得意の漢詩で帝に訴えてみてはいかがですか。ちょうど私の義理の姉が源典侍(げんのないしのすけ)と言って帝付きの女官をしておりますゆえ、取り次いで貰えると思います」
その夜、為時は推敲して詩を完成させました。
「苦学の寒夜は紅涙(こうるい)巾(きん)を盈(みた)し、除目(じもく)春の朝は蒼天(そうてん)眼(まなこ)にあり」-冬の夜、辛い血の涙があふれ、袖を濡らすほど一生懸命学問をしたのに、この度の除目は残念でした。私の眼には青空も空しく映るばかりです。
翌朝早く詩を取りに来た宣孝は「良い詩じゃ。結果を期待なされ」と笑顔で宮中へ行きました。

源典侍から一条天皇へ詩を奏上しようとした時、内覧であった道長が見咎め尋ねました。そして思い出しました。
「為時の詩か。あそこには賢い娘がおったのう」
道長に良い考えがひらめきました。(続く)

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