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第31回 平清盛(7)祇王・祇女・仏

『平家物語』の割と早い段階で、祇王の話は出てきます。清盛お気に入りのお抱え白拍子で18歳から21歳まで愛されました。清盛の悪行を誇張するために挿入された話ともいいます。

清盛は祇王を重用していましたが、ある時、加賀から出てきたという16歳の仏(ほとけ)という少女が清盛にぜひ舞いを見て貰いたいとやってきます。清盛は門前払いを命じますが、祇王の取り成しで一度見る事にします。

するとあろう事か、清盛はすっかり仏に夢中になり、祇王に出ていけといいます。妹の祇女と共に邸を追放され、たくさん頂いたお手当もストップしてしまいます。まさに「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」のパターンです。

祇王は追い出される時、歌を書きのこしたと言われます。
「萌え出づるも 枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」
更に追い打ちがあって、傷心の祇王に、仏が退屈しているから舞いを見せろと清盛から命令があります。母の説得で、無念ながら祇王は舞い、その後、自殺も考えましたが、母、妹と共に出家します。

嵯峨野に祇王寺があって、私は明石高校の学生の時に校外学習で行きました。フィクションかと思っていましたが、事実だったのかと思い直しました。野洲には、祇王が寵愛されていた時、清盛に頼んで造って貰った運河もあるという事。

祇王の涙の舞いを見た仏も、無常を感じて(『平家物語』のテーマ)
一緒に出家します。
仏を調べてみると、清盛の子を宿していましたが、翌年別の場所で死産。そして故郷の加賀に戻って2年後に亡くなったとあります。21歳。

清盛の心変わりを描いた話ですが、現代でも移り変わりはよくある事。歌姫でも私の高校時代は、天地真理が全盛でしたが、やがて山口百恵、桜田淳子に替わられ、そして松田聖子、中森明菜とくるくると人気者が替わるのは芸能の宿命でしょうか?

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