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第84回 常磐御前の運命

義朝の敗戦後、最愛の若き妻・常盤(当時22歳)は3人の幼い子を連れて雪の中、生まれ故郷の大和の宇陀(うだ)まで逃げ、知人を頼ってひっそりと息を潜めていました。しかしやがて京に残った母が捕えられたという話を聞き、まずもとの主人・皇太后呈子(30歳)の所へ相談に来ました。

呈子とは関白忠通の養女で近衛天皇の中宮となった女性です。雑仕女を雇う時、千人の中から3人選ばれたのが常盤であるというのは伝説になっていました。呈子は、子供を抱いて困っている常磐に優しく、
「頼朝殿も上西門院様が確かに救うと仰っている由、六波羅に行ってみなされ」と諭し、使いを付けて貰って常盤は六波羅に自首してきました。

引見した清盛は、噂に違わぬ常盤の美貌に圧倒されました。そして
「頼朝も助ける事になりそうじゃ。幼な子3人も助けようかのう」
と髭を触りながらにやりとして言いました。
「有難うございます」常盤は絶叫する様に泣いて平伏しました。

その夜、当然の如く、常盤は夫の仇に身を任せる事になったのでした。(続く)

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