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第19回 真夏と冬嗣

長男が真夏、次男が冬嗣です。冬嗣は良房の父です。
こんな冗談みたいな命名をしたのは、藤原北家の内麻呂です。

藤原氏の起源を辿ると、大化の改新で活躍した中臣鎌足は死ぬ直前に「藤原」の姓を賜ります。藤は紫に通じますから名誉ある姓です。
鎌足の子、不比等が藤原を押し上げました。もともと不比等は天智天皇の落胤(お気に入りの女官を鎌足に賜り、すでに懐妊していたという説)という噂もあって、天智天皇の娘である持統天皇からえらく信任されました。
不比等には4人男子があって、長男の武智麻呂(南家)、次男の房前(ふささき:北家)、三男の宇合(うまかい:式家)、四男の麻呂(京家)でした。四男の麻呂は、天武天皇の妃だった異母妹と密通してできた子といいますから、持統天皇の信頼がなければ死罪ですよね。

四人とも長屋王の変の後、当時流行した天然痘で同じ年に亡くなります。今ならコロナで全員死んでしまったという事でしょうか。聖武天皇はこれでノイローゼとなって、大仏造りになるのですが。

四家の内、最初は長男の南家がリードしますが、仲麻呂の変で沈みます。天武系から天智系に大転換する時に、京家の人は時代を見誤って天武系につき、没落します。
後は北家対式家で、最初は式家が百川の暗躍で光仁天皇・桓武天皇に気に入られ伸ばしますが、ここで北家の内麻呂が逆転します。

内麻呂は温厚であったといいますが、中々深謀遠慮で、例えば妻を桓武天皇の後宮に入れて、良岑安世の母になっています。この妻も百済と言いますから桓武天皇はやはり大陸系が好きだったのでしょうね。そしてこの安世の子が宗貞ー僧正遍照となっています。

さて、内麻呂ですが長男の真夏を平城天皇に仕えさせ、次男の冬嗣を東宮の神野親王(後の嵯峨天皇)に仕えさせます。これだとどちらに傾いても北家は安泰です。そして予想通り、上皇となった平城上皇と嵯峨天皇の間で戦いが起こります。ここで内麻呂は真夏を呼び戻そうとしますが、真夏は律儀で最後まで平城上皇に仕えます。薬子の乱ともいい、式家は没落しました。
そして嵯峨天皇の信頼厚い冬嗣、良房最後は道長まで北家の全盛が続いていくのでした。

ところで消えたと思った真夏の系統もしぶといものがありました。真夏は勿論出世はできませんでしたが長生きし、子孫に歌人の伊勢、そして何と日野氏が出ます。日野といえば室町足利将軍の正室によくなりました。(日野富子など)藤原氏の執念のようなものを感じます。

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