インフォームド・コンセント(Informed consent:IC)、共有意思決定(Shared decision making:SDM)その先へ

 今日、臨床では当たり前になったインフォームド・コンセント(Informed consent:IC)や共有意思決定(Shared decision making:SDM)という考え方は、不確実性を伴う医療において、医療者、患者双方が納得したうえで治療に対する方針を決定していくプロセスといえます。

 患者の意思決定プロセスと満足度に関して、癌患者24人を対象にインタビューを行った調査【1】によれば、満足度が高いのは、「医師の決定を納得して同意した場合」「信頼した医師にお任せ」「積極的な自己決定」であり、逆に満足度が低いのは「医師による一方的な決定」「不本意な自己決定」でした。この調査結果は、患者の治療方針を医療者が一方的に決定して、それをパターナリスティックに押し付けることはいけないことだ、という一般的な認識を支持するものでしょう。

 しかし、純粋な自発性を伴った治療への同意や意思決定なるものが存在するでしょうか。少なからず、医療者の“医学的に正しい”説明によって患者の自発性を奪われている側面があり、患者にとってみれば真に能動的な意思決定は困難と言わざるを得ません。(ICとSDMの差異はこの点にあるのかもしれませんけれど、真に自発的な行為は存在しないと考えれば、ICとSDMに大きな差異があるとも思えません)。

 意志決定支援と言えば聞こえは良いですが、これは患者が「治療を受けさせられている」というような受動的、強制的状態を見かけ上消し去るための手段にすぎないとも言えます。あれこれ情報を提供して、それを患者に決めさせることで能動的な意思決定を半ば強制的作り上げている側面があるからです。

 確かに、見かけ上は患者の主体的な意思決定を尊重しているようにも思えます。能動的な意思決定を迫ることで、少なからず患者の意志は具現化されていくからです。しかし、具現化された患者の意志には必然的に選択行為(治療方針の決定)が帰属します。そして、このことが選択行為に付随する責任を問うことを可能にさせています。「あなたが決めたことです……」というように。

 つまり、意思決定支援というプロセスの中には、責任の所在を尋問的に患者に押し付けている側面があるのです。これでは治療方針の決定を患者に押し付ける行為と本質的には変わりありません。

 こうした状況を踏まえて医療者はどう振舞えばよいのでしょうか。哲学者の國分功一郎氏は ”意思決定支援を欲望形成の支援と言い換えたらどうだろうか" と提案しています【2】。まずは、治療を受ける、受けさせるというような、能動/受動の概念を一度頭から追いやり、患者がどのような状態を欲しているのかを想像することが肝要かもしれません。

 治療を受けるという行為が能動/受動の枠に入りきらないからこそ、治療をきっかけに、患者が何を望むのかよく話し合うプロセスが肝要なのだと言えます。こうした欲望形成プロセスの中で、医療者が全く想定もしていなかったような選択肢が浮き彫りとなるかもしれません。

 健診を受けること、血糖値を下げること、血圧を下げることは将来的な健康維持に重要だという信念は強固なものです。しかし、健診を受けることを欲望するというより、健診を受けず旅行でも行きたいという欲望の方が、欲望としてはよっぽど健全とは言えないでしょうか?

 「薬を飲んだほうがいい」というのは、本当のところ患者や医療者の欲望ではなく利益相反を介した製薬企業の欲望(あるいはある種の社会)だったりするわけです。そうではなく、患者の「欲望」に耳を傾ける。こうした医療者の態度の中にこそ、尋問しない臨床判断の可能性が垣間見える気がしています。

【1】Watanabe Y, et al : Japanese cancer patient participation in and satisfaction with treatment-related decision-making: A qualitative study.BMC Public Health.2008;8:77. PMID:18302800
【2】精神看護 2019年 1月号 特集 オープンダイアローグと中動態の世界 p16

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