強制でも自発でもない学びを得るために。

 仕事がら薬の効果について話をする機会は多い。いつも強調しているのは、薬の純粋な治療効果(Efficacy)と、人が薬を飲んで感じる薬効感(Effectiveness)には少なからずギャップがあるということ。薬理作用に基づく純粋な治療効果だけでなく、プラセボ効果、ホーソン効果、あるいはピグマリオン効果というような心理的作用が複雑に影響し合って実際的な薬効感を形作っている。

図1

 さて、今日は薬についての話をするつもりではない。学習や教育に関するお話。医療者にとって、ピグマリオン効果という言葉を耳にする機会は多くないかもしれない。教育心理学分野で使われることが多いそうだが、この効果は教師の期待によって学習者の成績が向上することを指す。教師期待効果、あるいは発見者のロバート・ローゼンタールにちなんで、ローゼンタール効果などとも呼ばれる。

 先日、教育心理学に関する興味深い論文(DOI : 10.1080/01443410.2020.1711872)を見かけた。タイトルは「Effects of teachers’ praise-to-reprimand ratios on elementary students’ on-task behaviour」。僕はこの分野の専門家ではないので、詳しい学術用語は知らないが “praise-to-reprimand ratios” つまり「褒める」と「褒めない」の比率が小学生の行動にどのような影響を与えるか検討した研究である。

 背景として、教育者の多くは「褒める、褒めない比率」を3:1もしくは4:1で推奨しているそうだ。この研究では行動が劇的に改善するような比率を特定することはできなかったが、教育者による「褒める、褒めない比率」が高いほど、つまり褒めれば褒めるほど、課題に対する積極的な行動が観察されたと報告されている。

 褒めるという行為が学習者の能動性や主体性を促している側面はあるのかもしれない。他者から評価されることは短期的な学習のモチベーション維持につながると言える。しかし、継続的な学びという視点で考えたときはどうだろう。評価されることは学びの質や維持にとって重要な要素といえるのだろうか。

 継続的な学習行動を考えたとき、おそらく他者から強制されるような受動的な学びは継続しない。また、自ら(能動的に)勉強をしようと決意しても、高いモチベーションを維持し続けることは難しいように思う。学習行動は能動や受動、どちらの仕方でもその質を継続的に維持することは困難である(僕の考えでは真に継続可能な学びは中動態でしか説明できない)。学びを駆動し、その質を維持したまま継続するには、ある種のきっかけや興味が必要であり、その仕方は能動でも受動でもない。

【学習者の成長を0~100で考えてみる】
 装丁に惹かれて手に取った小説が、読み始めたら面白くなり、時間を忘れて読みふけってしまう。そのような経験こそが質の高い学びを駆動する基本的な構造である。こうした経験を得るにはいくつかの偶然や運という要素が必要だ。たまたま本屋に立ち寄ったという偶然的行動、装丁に惹かれるような本との出会いはまさに運命といっても差し支えない。また、本の内容が自分の心を突き動かすようなものであったことは、決して能動でも受動でもない仕方で発生している。

 学びのきっかけは自分自身が置かれている環境によって変わってくる。幸いにも日本は9年間の義務教育制であり、少なくとも義務教育期間中の学びは多くの国民で実現されうる。しかし、学びは義務教育に定められたカリキュラムだけではないし、義務教育の中で実現される学習の多くが、受動型のスタイルである点は否めない。

 自動車の構造について、気象について、身近な動物の生態について、経済について、パソコンやコンピューターについて、写真や絵画について……。多様な学びの可能性はいくらでもあるはずだが、きっかけがなければ学びは始まらない。

 学習者の成長を「0~100」で表し、「0~1」へのステップ「1~100」までのステップに分けて考えてみる。継続的な学習を可能にするための「0~1」へのステップは、多くの場合で運や偶然性に左右される。しかし、そのきっかけを運よく手に入れ、知的欲求や関心・興味によって駆動される学びを始めた学習者は、学習内容の質を維持しつつ継続的な学びを実践することが可能となる。そして、このような仕方で学習者が「1」まで到達することができれば「100」への道のりは本人の意欲次第でいくらでも駆け上がることができる。学びたいという思いの強さが学習内容の質を向上させ、継続的な学びを可能にさせる。

 他方で、「0~1」のステップにおいて、嫌々やらされているというような受動型の学習、あるいはテストで高得点を取ることがけが目的の能動型の学習では、「1~100」における成長率に差はあれど、継続性はあまり期待できない。

 テストで高得点を取るための勉強を能動型と分類することに違和を感じる人もいるだろう。だから少しだけ補足しておく。本来的な学びは、学ぼうと思って机に向かうものではなく、それはむしろ自然な欲求に近い形で実現されるものである(つまり能動でも受動でもない)。そのような状況と対比したとき、目的を達成するためだけの学びには強い主体性が垣間見え、逆に言えば目的が達成され、主体性が消えてしまえば学びは自然と終息してしまう。

図2

【不安を恐れず、学びのきっかけを探す】
 継続的な学びを実現するきっかけは、運に左右される側面が強い。しかし、自分自身の行動や関心の矛先を少しだけ変えてみると、きっかけと出会える可能性は高まる。たとえばグーグルの検索ワードを日本語から英語に変えるだけで、表示されるコンテンツはがらりと変わり、これまでに経験したことのない関心や興味を発見できるかもしれない。とはいえ、英語が苦手な人にとって、自分の知らない言語でインターネットを検索することはハードルが高いと感じるだろう。そこにはある種の不安やストレスが存在する。

 常識と呼ばれるような中に、何も考えずルーチンをこなすことに不安は少なく、むしろ楽で快適である。日々同じことを繰り返し、世間の大多数の思考と同期することは、ストレス負荷を減らすために有用である。常識から逸脱することなく平均的な生活は、ある種の安泰をもたらす。別言すれば、人は潜在的に不安を恐れ、その不安から逃げようとする。

 学習者の置かれた状況は、コンフォートゾーン(Comfort Zone)ストレッチゾーン(Stretch Zone)パニックゾーン(Panic Zone)の3つに分類することができる(DOI:10.1007/BF03401019 )。

図3

 コンフォートゾーンとは、学習者にとってストレスが全くない状況のことである。この状況において、学習者は未知の現象に出会うこともないし、何かに挑戦することも少ない。つまり、この状況では学習そのものが発生しない。日常のルーチンワークは、まさにコンフォートゾーンのただなかにある。

 コンフォートゾーンは不安やストレスが少ない安全地帯のように思えるが、長期的な視点で眺めた時、自身の成長を阻害するかなりハイリスクな空間ともいえる。一見するとリスクのないところにこそ、潜在的には大きなリスクが隠れているのかもしれない。少なくとも快適だなと感じる場所に学びのきっかけは存在しない。

 ストレッチゾーンとは、学習者が様々な未知のものに出会い、その状況への適応や対処を求められる空間である。ストレッチというように、学習者にはある種の「挑戦」が求められる。それはまた失敗というリスクを孕むものである。逆に言えば、挑戦や失敗こそが学びの本質ともいえる。

 このストレッチゾーンを飛び超えてしまった先にあるのがパニックゾーンだ。そこでは「失敗するリスク」が高すぎて、「恐怖」の感情が渦巻き、冷静になることはできず、学ぶこともできない。

図4


 学びのパフォーマンスは、快適さとリスクの絶妙なバランスの上に成り立っている。いきなり高跳びしてパニックゾーンに踏み込んでも、リスクが高すぎて学習どころではないだろう。とはいえ、「快適」すぎてしまっては、人は日常のルーチンに流されていくだけである。目指すべき方向性を見失わないように、他方でルーチンに流されないようにすることで、継続的な学びを実現するきっかけを手にすることができるかもしれない。


 



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