誰にも言えなかった悩み

こんにちは。
Syuheiinoueです。

僕はウェディングフォトという写真に携わりはじめてから多分9年くらい経ったと思います。

最初の1年は結婚式そのものを綺麗に撮るために悩み続け、2年目から4年目までは同業フォトグラファーを驚かせたくて、自分が表現したい写真とか、誰も見た事ない構図の写真を撮ることばっかり考えていました。

5年目から徐々に「新郎新婦のために」しっかりと写真を残すようになって、6年目で世界のウェディングフォトに刺激をもらい、7年目あたりに絶好調になり、そして8年目でウェディングフォトを撮ることが辛くなってきました。

9年目の今は、まだ少しウェディングフォトを撮ることが苦しいのだけど、気持ちは清々しく晴れているからnoteを書く経緯に至りました。

*結構話すこと多いので、多分10分くらいで読める内容です。


ウェディングフォトって何だろう

まず、ウェディングフォトと聞いて何を思い浮かべるでしょうか。

・結婚式の写真
・ロケーションフォト(前撮り)
・フォトウェディング

結婚にまつわる写真の総称がウェディングフォトと呼ばれているものですが、僕のような写真家たちがウェディングフォトについて語るとき、伝えるとき、販売する時、特によく言葉にするワードを3つまとめてみました。

・ふたりの想い
・幸せ
・自然な表情

皆さんが思い描くウェディングフォトと、僕たち写真家が伝えたい言葉に大きな誤差はないはずです。

それじゃあ何も悩むことはないよね、と思う方が多いかもしれませんが、「果たして本当に幸せを撮ることだけがウェディングフォトなのか、そして何より、写真家が伝えたい想いと写真が繋がっているものを適切に表現できているのか」というジレンマに悩み続けることになったのは、5年目に差し掛かるあたりでしょうか。

ふたりが感動して涙を流している、ご両親とハグをしている、かけがえのない仲間との時間を大切にしている、雄大な景色の中でウェディングドレスを着て写真撮影をしている、など。

この瞬間の多くは、勿論リアルで美しい。

僕はその瞬間を適切に新郎新婦や家族、そしてSNSやポートフォリオといった媒体を見る第三者に、自発的に写真と言葉を伝えるように心がけてきました。

ですが僕も同じ人間です。
誰かの人生の素晴らしさを語り続けてくことに疲れてしまった時期が訪れました。

本音を言えば、写真に語ってもらいたい

「写真を見れば、その時の情景が思い浮かぶ」

この言葉が適用されるのは、その写真に携わる人だけです。
僕は、もっとその時の感動を誰かに伝えたくて、誰でも理解できる言葉を探して、模索してSNSで伝え続けてきました。

ですが、その全ての言葉の多くは結婚式とSNSの流行によって掻き消されたような感覚に陥りました。常に新しい表現が求められ、新しい価値観と写真をアップデートし続けなければならない現状こそが「流行」そのものなのです。

勿論、それの全てが悪いと言っているのではなくて、単に流行を追うことに疲れてしまったのです。

結局どんな事を語ったとしても「流行」で終わるのなら、それは写真を大切にしてほしいと願う僕自身の幻想だったのだと、本当に感じました。

そして6年目以降、僕は流行している写真と、伝えたい写真を分けて考えるようになりました。世界のウェディングフォトにふれた事が、大きな価値観の変化だった事に違いありませんが、ここはちょっと割愛させてください。


そして氷河期がやってきた

8年目、僕はウェディングフォトに疲れていました。感情が動く瞬間にシャッターを切り、渡す写真の全てに小さな意味を込める作業、そして毎回の撮影で新しい表現を発信し続けなければいけない義務に、限界を感じていました。昨日の自分を超えてゆけ、というスタンスで頑張り続けることができたのは皆さんの感謝の言葉なのですが、その大切な言葉を頂いたとて、辛いものです。

そんなイヤイヤ期に限界が来て出会ったのが、キャンプです。
キャンプに行けば雄大な自然に身を置くことで頭の中を空っぽにしたり、写真以外のことを考えるきっかけに繋がって、本当にありがたい現実逃避でした。

そうやって現実逃避を続けているうちに、キャンプを通じて多くの友人と出会うことができました。

写真だけしか続けていなかったら、きっと出会う事のなかった友人のおかげで、自分の写真に自信を持つ事ができるようになって、そしてウェディングフォトに対するモチベーションが少しずつ戻るようになってきたのです。

友達を持つことって本当に大事なんだなって、本来は高校生とか大学生あたりで気付く人が多いんでしょうけど、30代でようやく…といったところです。


光が差してきた

そうやって紆余曲折しながら、何とか今日という日までウェディングフォトという仕事に携わってきました。

仕事が辛くても、それでも写真に嘘をつきたくない。
写真撮影を楽しみにしている、未来の誰かを失望させたくない。

そう思えば思うほど、余計に辛くなって誰にも話せずにいて、一人で「明日の撮影できっと雲は晴れる」と信じ続けることで何とか平静を保っていたのですが、実際は撮影を終える度に心が疲れる日々の連続だけど、きっと誠心誠意 写真を届けることができたはずだから、これでいいんだ。

と思い込んでばかりで、いつか糸が切れるのかな…そんな不安と戦っていました。


趣味から学んだこと

そんな不安を解決させるきっかけを作ったのは、やっぱりキャンプでした。結局のところ、ウェディングフォトそのものに意味はないんです。それが流行の写真だろうと、撮りやすい撮りにくい撮影だろうと、何でもそう。

僕は、意味を考えすぎたのです。

キャンプに行って写真を撮れば、全員が喜んでくれる。大切な時間を、流行ではない自分自身の感覚で撮った写真に驚いて、喜んでくれる。僕はその言葉を見て、一人嬉しくなる。

もう、それだけで充分なのです。

ふたりの幸せを願うことは当たり前で自由な事だけど、その幸せの過程を知らない人間に、言葉や写真でとやかく言われる筋合いなんてあるのでしょうか。

僕と被写体の関係性が、写真を通じてアウトプットされているだけなのです。僕たちが本当の意味で伝えなければいけないのは、本心でキャンプ楽しかったね、結婚式素敵だったね、と素直に言葉にするだけなのです。


写真の意味を考えるのは 撮られた人

だからウェディングフォトという存在そのものに意味は無いのです。

1、結婚に携わる被写体が居る

2、写真を撮る

3、写真を見た被写体が、何を考えるのか


ただそれだけのことなのに、僕は何か大切な意味を持たせように…テーマを考えなきゃ…って、自分の首を締める日々を送っていたのです。

それらを無理して考えなくなった9年目の今、写真を「個の表現」として考えることが少なくなってきました。

写真はあくまで、写真。

意味を考えるのは写真を見る人なのだから、僕は撮る人の人生を祝福して、素直な気持ちで写真を撮ることだけに注視する、ただそれだけのシンプルな構造にようやく気付くことができました。

だから僕はこれから先、ウェディングフォトそのものに意味を持つことは、きっと無くなっていくことでしょう。

ですが、写真を仕事にして10年経って一番感じることのできた概念「人と人、感情と感情を繋げるもの」という考え方だけを残して、これからの撮影を楽しみたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
やっと話すことができて嬉しいです。

もう一度、ありがとうございました。


Syuheiinoue

https://www.kuppography.com/syuheiinoue


今後の活動やプロジェクトに活用させて頂きます。ありがとうございます!