桜並木の向こう側の花火

ワダッソの前の桜並木は、生き物たちの憩いの空間だ。鳥たちにとっても、僕たち人間にとっても。
そんな桜並木を、歩くと、不思議に小さい頃のことを思い出してしまう。
それも、新しい気づきというか、「ひょっとして、あの時の人は、こう思ってたんじゃないか?」というような発想がやってきて、「なら、しょうがないな」という風に思えてしまったりする。
俗に言う「過去の書き換え」みたいなことが、自動で起こるから不思議だ。

そんな桜並木は、夏の猛烈な日差しに照らされて、葉っぱが真ん中で折れたようになって、暑さに耐えている。ワダッソの中から見ると、白っぽい葉っぱの裏側が見えるから、桜全体がシルバーっぽく見えて、余計に暑さを感じてしまう。
というか、ワダッソの中のほうが、猛烈に暑い。中にいるだけで全身から汗が噴き出してくる。気づけば床に汗がしたたり落ちてくる。
そんな7月の夕方。暑さでヘトヘトになった僕は、晩御飯を買いに近くのスーパーへ向かった。

自動ドアの向こうから冷気とともに、テンポのいい音楽が聞こえてくる。僕の肌は冷えた空気に、一瞬、肌寒さを感じる。毛穴全開からキュッと引き締まった感じで、心地いい。
僕は、最奥のお刺身コーナーを曲って、総菜売り場に向かっていると
「今日は、花火大会! 花火には、焼きそば! 焼きそばをご用意しております!」
店員さんの熱いアナウンスが聞こえてきた。
「そうか、今夜は花火大会か。そりゃ焼きそばじゃね。」
なんて思いながら、気づくと僕も乗せられて「焼きそば」を買い物かごに入れていた。
焼きそばと弁当というボリューミィな晩御飯には、もちろんアルコールもついている。小さな買い物袋にそれらを入れて、また猛烈な暑さの世界へ歩き出した。もう空は少し暗くなってきている。
原っぱのような公園には、これでもかと人がいる。少し前に伸びた草を刈ってられたけど、それはこの状況を予測していたのだろうか?
子供たちが多いからだろうか、公園に集う人々からは明るい雰囲気が伝わってくる。みんな花火に期待しているんだ。
そして、道を曲り、桜並木の下を歩く。向こう側からは、またまた花火に期待している(そうとしか思えない)人たちがやってくる。
みんな僕のこと、どう思っているんだろう? そう思ったけど、多分、彼らには僕は透明人間。つまり居たとは気づかれない人になっていると思う。
期待に胸を膨らませている人たちにとって、その逆へ行く人なんて、どうでもいいハズです。
そいう人を何人かやりすごして、我が家、ワダッソに帰ってきた。
帰ってくる頃には、もう花火の上がる音がしていた。

僕は、「花火なんて興味なし」なんていう世捨て人的な人間じゃない。
実は、「我が家は2階にあるから、ワダッソからだって花火が見えるんじゃない? 方向的には、玄関前かな?」
なんて、期待に胸を膨らませていたのだ。だから、焼きそばまで買っちゃってるのである。
我が家、ワダッソの玄関から花火の音のする方を見ると……
はたして、桜並木の向こう側に上がる花火……その上半分だけ見えた。
「んー桜さん、もう少し背を低くしてもらえんかな 」なんて、自分勝手なことを思いつつ、上半分の花火を眺めた。
お酒を開けて、アパートの2階の玄関先にしゃがみ込んでいる。そのアパートの前の桜並木の下を歩く人たち。
その向こう側に上がる花火の上半分の花火を見ながら、いろいろなことが頭をよぎった。
「半分の花火って……僕は、いつも、この中途半端さにあるなー」
「桜並木の向こう側へ歩いていけば、全部見えるのに、なんだか行きたくない」
「なんで行きたくないんか?」
「ワダッソが好きなのかなぁ」
なんて自問自答。

それで、わかった。
僕は、この上半分みたいな中途半端が好きなんだ。
いや、桜並木も好きなんだ。だって、いろんな事を教えてくれる桜並木なのだから。
そう思ったら、この半分花火って「詫び・寂び」の心につうじるんじゃないかい?
なんて思えてきた。そう思うと、逆にこのシチュエーションは最高なんじゃないか。

ワダッソは、僕の住む二階建てアパートの1室。その前に広がる桜並木。東京なのに自然が多いこの空間が好きだ。


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