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1375円

「百年の孤独」を買う。ガルシア=マルケス。1375円。高いのか、安いのか、まあ最近「本」というものが、そもそもまあまあ高いのだから、これは許容範囲だと納得して、一旦は噛み砕く。......。......だが、やはり高いといえば高い。「高いだろ!」の愚痴のひとつぐらいは漏らしたい。1375円があったら、電車に乗って大阪の深いところに行けるのだから。......ま、こうして海の向こうの遠い国で、さらに当然その国の言葉で書かれ、ようやく生まれた「作品」がまた新たに訳されて、ここ日本でドンと出るとき、その時点で「本」というものはそこそこ薄くても、まあまあ高くなるものだ。薄くて安い本なんて、元都知事曰く「1人で死ねねえから、女連れて」が書いた「人間失格」ぐらいだろう。それか、「檸檬」なんてのも安いんだな。どっちも日本生まれ日本育ちの作品だが。不利にならないよう、その薄くて安い「本」が遠い国のものであるとすれば、カフカの「変身」だろうか。よくわからん、ムシになる話だ。これは506円。まあ、正直これだけあれば昼飯が食えるな。日本生まれ日本育ちの文庫本でも、高いやつはある。「ジョン・レノン対火星人」なんていう、ふざけた題名の「本」は、文庫のくせに1760円もする。さすが、講談社文芸文庫、だ。こいつは高いんだな。どこかに廉価版の講談社文芸文庫があればいいんだが。こだわりで高いのはわかるが、しかし、それしか選択肢がないっていうのも、ツラい話だ。金がないんだ、「本」を読みたい奴は。当然その「ジョン・レノン」と「火星人」の中身は芸術的で、ハッピーなんだかな、源ちゃん。......いや、しかし、......。それにしても、やっぱりおかしいよ。文庫で1000円超えちゃって、しかもそれは「日本語」で書かれた「日本語」の小説だぞ? 苦労して絞り出した「日本語」なのはわかるが。ああ、そういえば元都知事の「本」なんかも(これも同じく文庫)、ついでに調べてみたら、781円だった。僕が買ったときは、649円だったのに。ちなみに、こっちは新潮文庫だ。昭和30年にその、倫理性が欠けてるとやらで話題になった、元都知事の小説が当選した文芸誌は、文學界だったのにな。業界のアレコレなんて、僕が知るわけないけど、こういうのが「たまに」あるな。知ってる、知ってる、いくつか知ってる。......。ま、それはいいとして。この「百年の孤独」なんて、大層な名前の「本」も、親は新潮文庫だ。どっかの有名人が、「好きな本は?」の質問に、いつもサラリと「百年の孤独」なんて言うものだから、社会に疎い僕だって、この「本」の存在は前々から知っていた。そして今回ついに、お求めになりやすい「文庫化」になったわけだけど、そもそも単行本の時点で「百年の孤独」は2000円台と、価格は優しかった。何回も言うが、「百年の孤独」は誕生の際、「日本語」で書かれたわけじゃないから、そこそこの価格は受け入れる覚悟が必要だ。言語を解体して、組み立て直して、刷るわけだから。苦労してるね。だからね、2000円台で、「百年」の「孤独」が味わえるのなら、まあ、そもそもアリな話なのだ。肝心の物語の内容は、僕はよく知らんが。でも、アイツもソイツもおもしろいって言うから、おもしろいんだと思う。ちょっと気になって、Amazonで調べてみたら、「百年の孤独」の単行本が3000円を超えていた。僕はどうやらさっきまで嘘を書いていたらしい。修正する気はないから、2000円台という記憶は間違っていたか、ということにする。どうだろうか。わからん。最近、無駄に忙しくて記憶が悪い。まあ、でも、3000円台でもアリじゃないか。ここは「日本」なのだから。たぶん想定よりも高いんだな、全部が。特に「本」ってのがね、そういえば昨日、接着剤を薬局で買ったら、高くて驚いたよ。扉の握る一部分が破損したんだ。このままだったら完全に潰れると思って、応急処置での接着剤なんだか。どうも、応急処置するぐらいなら、全部をやり直したほうが早そうだし、安そうだ。業者に頼んでね。ああ、金がかかるぜ、全く。応急処置で完治すればいいんだが。「百年の孤独」のサジェストには、「つまらない」なんてのが出てくる。こういうパターンは多い。有名かつ人気な作品ほど、こういうのは多い。「アレはつまらない」ってね。企業なんかもそうだ。大企業になれば、ブラック企業の文字がつく。サジェストはマイナスに導いてくる。つまらないか、おもしろいかは、「百年の孤独」の場合、1375円でわかる。それぐらい払えよ。読む、という時間の問題だが、どうせあんたは暇だろうから、大丈夫。スマホをぽちぽち触って、YouTubeでITZY(読み方はイッチかイッジかだと、イッチらしい、ふうん)のユナを追って、外に置きっぱなしだった、一本のきゅうりをカラスに喰われた僕が言うんだから、間違いない。あのカラス、ついでに紙屑しか入ってないゴミ袋にも歪な穴をあけやがった。ちくしょう。どう考えても、あれはきゅうりとゴミ袋を守るべき時間だった。ユナじゃなかったんだよ、あの時間は。でもな、きゅうりを憎きカラスに喰われても、また平然とそれをネタにしてSNSにくだらないことを書き、写真なんかも撮って、ついでに流れ作業でAmazonなんかを眺めちゃったりなんかして、それでもまだ時間が余ってたら、すかさずエッチな何かを見て、最後には徹底的にゴロゴロしている、どうしようもない僕がいて。最低で泣ける。それで、やるべきことは溜まる一方。そんな毎日の時間を変えるのなら、最低限「本」を読む必要がある。ビデオを買って、それで2000円ちょっとを使うのなら、「本」を買ったほうが、毎日はマシになるだろう。少しは精神に影響を与えるから、「本」っていうのは。人生は良い方向に進むんじゃないか? あんたも、僕も。まあ、肝心の生活で引きずる肉体のほうは、読書だけしても、当然ダメダメのまんまなんだけどな。さて、そんな愛おしい文字をも退屈に思うのなら、映画とかでもいいんだけど、大体こういう「芸術満載」の作品は文字から映像に移ると、途端にくだらなくなって、眠たくなる。「百年の孤独」は今これを書いている時点では、僕は読んだことないが、ノーベル賞なんかも、丁寧にもらっているんだから、それはもう「芸術」が「満載」なんだろうと、勝手に決めつけている。さあ、次の「本」を買うための金の問題だが、これは1日ご飯をぬけばいいだけで。それか、2時間ほど働くってのもいい。気分転換にね。そうすれば「百年の孤独」が手に入るんだ。働くのがバカバカしいって思うなら、図書館にでも行けばいいし。友人に持ってないか聞くのもいい。それか、もういっそのこと「百年の孤独」なんて言葉を忘れるんだな。そもそも、あんたは「本」のいらない人生を歩んでいるのかもしれない。でも、どうしても気になるからって、本屋での立ち読みはやめてくれ。あそこに行く人たちは、せっかく「新しい」「本」を買おうと思って、ウキウキで向かうんだからさ。スベスベの表紙に、サラサラの紙、ページ。そこに、あんたの屈託にまみれた手垢は、いらないんだよ。

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