道程
病院に行く、朝の街のキラキラ具合に「おー」と思う。数人のサラリーマン(だろうな、きっと)が、同じ方向に歩いていく。懐かしく、ソッとバレぬよう合流し、それっぽい顔をして歩いてみると、また一人とサラリーマン(だったな)が増えていき、それはまあまあ立派な集団に変わった。居心地は良くなかった。1人がいい。1人で生まれることができないなら、せめて最期ぐらいは1人がいい。集団は、新たな道の出現で綺麗に散っていった。自動ドアを越える頃にはもう、僕は立派に1人になっていた。
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帰ってから、八百長事件を調べる。なんとなくの、興味。何がどうなって八百長に発展したか、とか。八百長に関わったその人の役割はなんだったのか、とか。八百長のほとんどは永久追放で幕を閉じるから、そこらは絶対にわからない。だけど、その八百長に関わった選手の、その後の行方だけはかろうじてわかることがある、そこが人間すぎておもしろい(普通に嫌な趣味だけど)。まあ、大抵の元八百長加担選手は店を持って、なんとか生きて、店を畳んでもなんとか生きて、でもしばらくして情報が途絶え、次回の週刊誌の報道は享年。......
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頭がうるさいのは、いつものこと。そういうときの救いはポジティブだったりネガティブだったり、気分次第。単純にポジティブが生きることに繋がる喜怒哀楽の話なら、ネガティブはその逆の死への話だけど、そもそもこれは長所と短所みたいなもので、結局一緒やん!!って、話。人生、死への道程って言いますし。誰がって石原慎太郎の最後の小説の題なんですけど、アレはまさに石原文学の「終」といった形で、よかった。死の感触を、マルローの『王道』から切り取って書いていたけど、ああいう気持ちでいれば、なんとかなりそう。まあ、人間の前に、自分を地球上の一匹の生物だと思えば、妄想で苦しむ暇なんてないので、目の前だけ見て動けるんでね、そんな具合で。現実!現実!現実!と、唱えましょう。拙者はまだ道程の最中なんで。邪魔せんでくれよ、色々と。
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井上尚弥の試合を見る。観客席に布袋を見つける、なるほど、これで帰ってきてたのか。試合はド派手、というわけではなく、最後はドヘニーが腰を負傷し、TKO。見たことのない幕切れで、ポカーンとなる。その裏で厳しいと思っていた巨人軍が、9回裏に同点のスリーランを打っていた。モンテスという、ナイスガイの男の来日初ホームランである。(その後、10回で負ける)
今日はラーメンも食べた、もう写真を載せる気力はない、眠い、眠いのである、今日だけは。じゃあ、おやすみ。
(好きなんですよ)
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