見出し画像

誰でもできるけど僕にはできないコト。またはその逆。

僕はずっと 「やる気」 とか 「気力」 とかってのは

『出すか出さないか』

の2択だと思ってたフシがあります。


今思うと、ちょっと乱暴な考えだったな、と反省しきり。

想像力が足りなかった。重要なことを見落としていたんです。

やる気や気力のたぐいは『出すか出さないか』の他に


『出せるのか出せないのか』


が、めちゃくちゃ絡んでくることがわかっていませんでした。

今はこれが少し分かるようになって、前よりだいぶ

人に優しくなれた 

ような気がしています。自分にも。


例えば先日、2020年の9月に4連休がありました。

連休が始まる前から僕の妻は「筋トレをする!」と宣言していました。

コロナでジム通いができなくなったので、2万円くらいかけて自宅トレーニング用にダンベルを買ってあったのです。


妻は連休中、毎日「筋トレする!」と言い続け、

そして「やっぱ明日にする」とも言い続けて、

4連休は終わり、出社していきました。


(うわー、気持ち分かるわー)

って人は少なからずいてくれるはず。


でも以前の、優しさの足りなかった僕だったら

なんでできないんだろう?すぐそこにダンベルあるんだから、やればいいのに

なんて思ったかもしれません。ヘタしたらうっかり口に出してしまって、険悪になった可能性すら全然あります。


なぜなら僕は、スッと筋トレが「できるタイプ」だからです。

ここで今日いちばん言いたかった事を言います。つまり、


できる人は、できない人の気持ちが想像しにくい

ということです。


僕は最近思うんです。

世の中は「がんばろう」に溢れていて、それが人が前を向いて生きるために必要なことだと、頭でも体でも理解はしているけど、それでも

「がんばる」

にどうしてもついていけない

「がんばれない」

人はどうしたらいいんだろう?って。


がんばれない人の解決策に「がんばれ」じゃあ、どんどん追い込みをかけて世の中から居場所を奪うのと変わらないので、ちょっと乱暴で

「がんばれないなら、死ねば」って言ってるようなものだなと。


でもさ

がんばれない人は決して「がんばりたくない」わけじゃなかったとしたら?

ってことだと思うんですよね。


さっきの妻の筋トレの話で言えば、

筋トレがしたい!って気持ちは、かなりのパーセンテージあるようなんですね。やったらやった分だけ、肉体が引き締まるのを喜々として僕に見せたり感想を聞いたりして、とても嬉しそうにしています。


僕のことで言えば例えば、(YouTubeに動画をもっと頻繁にアップしたいなー)と毎日思ってます。

毎日です。頭から消えることはありません。


しかも僕にとってのYouTubeは生きていく上で

(どうしてもやらなきゃいけない)リストには入っておらず

(やりたい)ことのリストに入っているんですよ?


なのに、できないんですよ。これが。

動画を撮影して、配信して、観てくれる方がいることが楽しいなんてことはよく分かってます。家事やパート、リハビリの合間をぬって、空き時間だって捻出できるでしょう。

でも、できないんです。


みなさんも仕事から帰ってきて、汗をかいている日なんかは、シャワー浴びたかったりしますよね。でもどうしてもお風呂に足がむかない時ってありませんか?

シャワーを浴びれば、スッキリするのは100%分かっているのに、です。

そういう人に向かって

「ウダウダ言ってないで、ただ浴びればいいだけでしょ?」

(できる側目線)で意見を言うことに、意味はないと思うんです。


だって本人だって分かってますもの。そんなこと。

ただただ(嫌な印象)を与えるだけですし、そもそも忘れがちなのは

(できる側)の人も必ず何かの(できない)を持っている

ってことですよね。


自分だってできないコトがあるのに、自分ができるコトは他人にカンタンに言っちゃうってのは、

「俺が浮気するのは仕方ないけど、君の浮気は許せない!」

くらいの乱暴さがありますよね。


最後に自分の話でシメさせてもらうと、

僕は26歳で障害者になってから、それまでの「頑張れる」がウソのように

少しづつ確実に「がんばりたいのにがんばれない」が増えてきました。


「がんばれた自分」を知っているから、とってもやっかい

過去の(できる側の自分)が、今の(できない自分)に向かって、軽口を叩いてくるんですよね。

「サボってんじゃないの?」 と。


かなりのムリをしてもめったに体調を崩さなかった、自衛官だった頃の自分には、少しのムリであっという間に体調を崩す今の自分を

想像してあげるのはかなり難しいはずなんです。


でもあえて、

今の激弱の僕が、迷彩服を着ていた頃の最強の自分にマウンティングをとるとしたら多分こんなことを言うんじゃないでしょうか。


「俺達みたいに想像力がイマイチな人間にとっては、色々できなくなって良かったこともあるよ。君よりも今の僕の方がだいぶ、人に優しくなった」


どんな顔するんでしょうか。

ということで、がんばれなさや弱さと優しさの関係性の話でした。

僕もまだまだ優しくないところあるので、もっと優しくなりたいですね。

「優しくなれるよう全力でがんばります!」

とは言いませんけれど。



サポート本当に嬉しいです!そのお金で自分の嗜好品を買ったりしません。コンテンツを充実するための活動費に全部使って「サポートして良かった」と思ってもらえるようなnoteにしていきますね!