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「可能」なのに、「できなくなる」ワケ

洗濯機がゴウゴウと脱水している。

コロナウイルスが流行った今年、梅雨はまだ明けない。

それでも週間天気予報によれば、今日だけ傘のマークではなく、雲のマークが出ている。降水確率は0%。なんなら陽射しまで出てきた。いいぞ。

乾燥機も、雨をしのぐベランダもないこのアパートにとっては、洗濯するチャンスだ。

だから、洗濯機をまわした。


というのは、半分ウソだ。

僕はここ2日、YouTubeにアップする動画を編集しなければいけない気持ちに全身を支配され続けている。

でもいざ、パソコンの前に座って、動画編集ソフトを開くと、手が、脳みそが、ピタリと止まってしまう。

FREEZE

(おかしいな)と一旦席を外し、仕切り直そうとして、僕は洗濯機をまわした。


洗濯は、言い訳だ。

なにか「成果が出ること」をやっていると気がまぎれるから。

洗濯機をまわせば、確実に服はキレイになる。それが少し心を楽にする。


仕切り直しの間はあけた。よし、もう一度パソコンの前に座ろう。

また凍る。キーボードを打つ手も、頭も、やっぱりぜんぜん動かない。


開け放った窓の外からは、夏を待ちきれない数種類のセミの爆音が入り込んできて、暑さに拍車をかけ、部屋の温度計は31.5度をさしているのにもかかわらず、凍る。

暑いのに、凍る。ピタリと。なんだこれは。



ためしに、編集画面を閉じて、noteに文章でも書いてみよう。

手が、頭が、動いた。

氷漬けのカチコチだったのに、ウソみたいにスルスル動いている。


これはもしかすると、あれか。


就職活動を頑張りまくっている大学生が「もう後がない!この会社にかけてる!絶対合格するんだ!」と強い意気込みで面接会場に行ったけど、エレベーターの前で急に一歩も動けなくなって、

その日から何もできなくなって、自宅のベッドの上で体育座りする日々を過ごすことになったりする『アレ』か?


いや、たぶん違う。

パニック障害とか、そういった大層なものではない気がする。


だって、他のことはスルスルできる。なんなら今すぐ、今夜の夕食の買い出しと、銀行まわりに行きたい。洗濯機はピーと終了音を告げた。干したい。この文章もまだ書きたい。


編集作業だけが、できない。

作業自体のやり方は、分かっている。動画をカットしたり、テロップを入れたり、音楽をつけたりすればいい。全部、やり方は分かっている。

つまり、できるのだ。

僕は編集することが能力的に『可能』なのに

編集の作業をすることが現実的に『不可能』になってしまっているらしい。


原因はなんだ?

そう思うと、あっという間に、思い当たるフシがある。

原因はたぶん2つ。


1.自分の動画が視聴者から評価されないので心が折れた

2.そもそも自分の動画作りにワクワクを感じていない


改めて文字にしてみると、なかなかに辛い状況だと思う。

これは一体、誰が幸せになるのだ?


それでも僕をパソコンの前に座らせる動機は、「物事を長続きさせられない」というコンプレックスを払拭したい気持ちだ。

楽しめない、でもやめたくない。

その板ばさみは、地味にきつい。はさんでるのが、他ならぬ自分なのがまたやっかいだ。

誰かに頼まれたりしたら、その人が喜んでくれるかもと思うから頑張れたりするかもしれない。


自分のことを喜ばせられないヤツに、他人を喜ばせられるのか?なんて思ってしまう。ダメだダメだ。よくないループだ。


きっと、心身の体調が低下してるんだ。

そう思うことにした。

気力が復活するまで、編集作業は休もう。どうせできないんだし。


今週は祝日をからめて、世間は4連休。

開き直って楽しく過ごそうと思う。

今夜は、串カツにしよう。

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