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鼓草の綿毛の行方


気付けば崖に立っていた。 
地平線の向こうまで続く深い青が瞳の奥を刺激する。 

掌をふと見ると赤かった。
視界がぼやけていく中、その色ははっきりと自身の脳に警告を表す。 

陸上だというのに酷く息苦しく、溺れるような錯覚に私は両の手で喉元を押さえた。 

 『海がいつまでも綺麗だったなら』 

そう音に出したはずだったのだが、空気が抜けていくだけだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――

木々の間を飛び抜ける。
拙者は四枚の羽を動かしながら、呼び出された場所へと赴くところだ。

メモリアルフェスタ1日目の夕方辺りから行方が分からなくなった彼女――『みなも』からの伝言を旅の仲間のオドリドリ達から聞いたのだ。
たんぽぽの花をあしらった新しい真っ白なリボンを首元に結んで、少し浮足立った気持ちでいる。
みなも殿と自身の生涯の妻として傍に迎えたしゅんりんが一緒に待っているらしい。

 ”あなた達が夫婦になったお祝いをしたいから、――に来てほしい”

そんなことせずとも充分に幸せではあるのだが。
突然居なくなったのはお祝いの用意の為だったのだろう。




……そう、思いたかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


「流石到着が早いですね、むらさめ」

そこに居たみなも殿は普段の装いとまた一つ違った白いものだった。
しかし、何か動き回った後なのか着崩れをしているそんな印象があった。 

「あなたとしゅんりんが番となったというのに、今まで祝いの一つも出来ずにすみません」
 
申し訳なさそうに笑う彼女を今まで何度見てきただろうか。
見慣れてしまったといえばあれだが、彼女の優しさがそんな表情にさせているのは知っている。
そんな時は大丈夫だと言い聞かせる為に、頭の上に乗って羽で撫でてあげたこともあった。

しかし、今の状況は今までとは全く違った。
警戒のために両の触覚を持ち上げて目前の相手から距離を取った。

 『一体、何を』

問いかけるように鳴き声を上げる。
先程拙者が居た場所の地面には、一本の刃物が突き刺さっていた。

 「能力の衰えは無さそうですね。…安心しました」

刃物は透明な糸で相手の手の中に戻っていく。

今のは牽制の意味での投擲だ。だが、何の為にだ。
呼び出した意味が違うのでは。みなも殿の様子がおかしい。

などと思考を巡らせ視線を向け続けていると、彼女はその場から一歩程横にずれた。
そこには妻のしゅんりんが木の幹に括り付けられていた。
 
『…っ!?』
 
自分とお揃いのリボンにレースのベールをあしらったものを身に纏った妻は、意識が無い様で目が伏せられている。

 「しゅんりんはとっても可愛らしくて優しくて綺麗な子ですね。…ですが、私達の旅には不相応なのです」

みなも殿は手に持つ刃物をしゅんりんの首元にあてがうと、酷く冷淡な声色で選択を問いかけてきた。
既にその表情に笑みなど無く、突き刺すような殺気を放つ赤い瞳が向けられている。

 「選びなさい。"私と共に旅を続ける"か"妻と共に生きていくか"…それか"今ここでふたり共眠りにつくか"」

突拍子もない選択を迫られることになろうとは想像の範囲外であった。
あの伝言は嘘だったということだろうか。
いや、この状況を作るのであれば正直な話を伝える方が馬鹿な話ではある。
おびき寄せるための、口実……。
数時間離れていた間に揺り動かす何かがあったには違いない。

問いかけられた言葉を反芻する。
みなも殿と共に旅を続けることは、しゅんりんは情報の隠匿の為に亡き者にされる別れとなるだろう。
しゅんりんと共に生きていくということは、この先みなも殿との旅を一切続けられないこととなる。早々に立ち去るかあるいは…。
そして、どちらの選択も渋って結論付けずにいるとしゅんりんと自身はどちらも彼女の手によって葬られてしまう、そういう事だろう。

どれも、嫌だと言葉を交わせることができたなら。違う選択肢を宣言することができたなら。

人ではない生き物であるが故の壁。
今までそんな壁を感じたことなどなかったはずなのに。
ずっと一緒にいた女の子はなぜこうも厳しい世界へと迷い込んでしまったのか。

「言っておきますが、私はむらさめを葬ることも躊躇しませんよ。貴方が裏切り者だということも知っています」

そう言って放り投げてきたものは壊されたモンスターボールだった。
既にヒビがあちこちに入っており、投げ出された衝撃でいくつか破片が散った。

 「あなたに使っていたモンスターボールに現在地が分かる細工を施されていたとは知りませんでした。通りでいくら姿を眩まそうとも追手と遭遇するはずです」

 『それ…は…』

細工のことは知っていた。みなもの父親が旅の準備の為に細工を施し、監視を含め手渡すことを許してほしいと自分に了承を取ってきたのだ。
しかしその意図はそれだけでないことも確かなのは分かっていた。彼女を"生かす"為でもあったのだということを本人は知る由もなかった。
それを知ったからこの行動に至ったにしては動機が浅い気もする。

 「…選べ。私はお前の妻を『殺す』」

最後まで言い切る前に妻に刃物を振り下ろされる。
こちらは瞬時に電光石火の如く移動し、刃物ごと相手を思いきり吹き飛ばす。

吹き飛ばされた勢いのまま空中で体制を変え木の幹に着地し、脚のバネで彼女は真っ直ぐに向かってくる。
新たに仕込んでいる武器を取り出して振りかざされる前に影分身で避けようとするが……。


鈍い衝撃が全身にかかる。
あの距離ならば避けられるものがどうしてと一瞬考えたが、どうやら武器はフェイクで思い切り足蹴りを食らわされたようだった。
忍の戦闘は手の内を身内にすら隠すことも多い。修行は共にしてはいたが、個人の戦い方は何通りも考えておかなければならないと頭を悩ませていた彼女の姿を思い返す。

本気の足蹴りであった。確実に仕留める算段を立てている。
並々ならぬ覚悟があるのだろう。


…それでも、どちらも失いたくない気持ちが自身の反応を鈍らせている。
死ぬか生きるか、殺すか殺されるか。そんな世界に身を置いた者には、幸せの形を夢見るのは毒だというのだろうか。
自分が彼女に殺されるのだけは駄目だ。そこまで背負わせては絶対にならない。 独りにさせては自壊するのが目に見えている。

ならば。

選ぶしかない。みなも殿をこの修羅の道から解放しなければ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――

共に育ってきたパートナーであるむらさめを初めて思い切り蹴り飛ばした。
こんな打撃如きでやられるような者ではないことは知っている。

あぁ…折角の最後のプレゼントであるリボンの花を少し散らしてしまった。
ごめんね、むらさめ。

 「…」

視線を外さぬまま、次の攻撃に移る。
彼の目付きが変わったのが分かった。本気には本気に応えるその目が、私の弱い心を見破る前に決着を つけなければならない。

時間が無い。
無いからもう"自分のこれから"を選んでしまった。

 ――里に戻れるよう条件を賜ってきた。
 ――お前が里に帰り生きることを選ぶなら、パートナーを仕留めて里の長に献上するのが唯一の手段だ。
 ――どうしてと言いたげな顔だが、お前のパートナーはお前を裏切っている。
 ――監視の為に出会わされた、最初から全て仕組まれていたことだ。
 ――信頼があるのであれば、自ら何かしら伝えようとするぐらいの行動は取るものだろう。
 ――一番近しい者だからこそ盲目になってしまうものだ。苦しみを消してしまった方が楽ではないか。


昨晩、昔憧れていた先輩が現れ、そんな話を持ち掛けてきた。
言葉の全てが本当かなどどうでも良かった。
ただ、それが先延ばしにしていた選択をするきっかけになったのは確かである。

数度の衝突。斬撃。回避。
ポケモンが持つ特殊な技は人体にとって害が大きいものも多い。
むらさめも制御を一切せず全てをぶつけてくる。

それが答えで、彼の応え。

大切な者を守ろうとする強い心は正しい。
本能のまま、外敵の排除をする行動は生き物として正しい。
誰だって命の危機にあっていれば多少抵抗はするものだから。


むらさめは触覚を振り、しびれ粉をまき散らす。
長期戦では有効だが、そんなもの息さえ止めればなんてことはない。

終わりにしよう。

地面を蹴り走り出すと共に、彼もこちらへと向かってくる。
一瞬のことだった。
こちらは刃物を、むこうは触覚を硬化し思いきり振りぬいた。















ドシャリと地面に落ちたのはむらさめの方だ。
左目を抉るような深い傷から体液が零れている。
羽と触覚を震わせ、か細い鳴き声が上がる。

『モース……』

なんとなくだが、『どうして』と言っている気がした。

「どうして首を狙わなかったか、だなんて。そんなこともう気にしなくていいのですよ、むらさめ」

地面に伏している彼の前に膝をつき、頭を撫でてやる。
むらさめは右の目から綺麗な雫を流しながら私に向ける。
撫でている手が震えてくる。

「流石私の勇敢なパートナーです。私の首を見事狙ったのですから」

自身が生きている証が流れ出ているのを感じる。
じんわりと首が熱い。
傷が深いのか浅いのか分からないが、呼吸をすると痛い。

「…ちゃんと首を落とすぐらいしてくれないと困りますよ。貴方の毒には少し耐性をつけているんですから」

震える手で彼を抱え、しゅんりんを括り付けた木の下にそっと置く。
眠っているしゅんりんを括り付けていたものを取り、むらさめの隣に寝かせる。
そうしていると少し遠い所から誰かの声と嬉しそうなオドリドリ達の声が聞こえてくる。

 「こんな静かで木がたくさんある所で良かったのかな?ここにむらさめ夫婦とみなもが居るんだよね?」

 「ピ!ピピピ!!」

段々近づいてくる声がする方向を一瞬見て、目線をふたりへ戻す。

 「時間切れですね。…これで本当に最後」

傍に生えていたタンポポが綿毛になりきってしまったものを一つ手に取り、むらさめとしゅんりんに向かって吹いていく。
綿毛がライスシャワーかのように降り注ぐのを見たのはむらさめだけだろう。


ゆっくりと瞬く瞳を見届け、その場を立ち去る。
近づいてくる声たちがふたりの元に辿り着いた時には、むらさめは私のことを忘れているだろう。

 ――怪我をさせてごめんなさい。



メモリアルフェスタの時を告げる音が祝福の鐘の音のように聞こえ、私は涙と微笑を浮かべるのだった。





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